ある乳業メーカーの牛乳容器に「母乳は赤ちゃんにとって最高の飲料」と書いてあります。これについてその通りだという人がいれば、母乳を与えられない人にとってはつらい言葉だという意見があり、SNSで意見が飛び交っているそうです。
いいか、悪いかはさておき、母乳は科学的な観点ではどんなモノでしょうか。母乳については過去(2021年1月20日)に書いていますが、再度牛乳と人乳の違いをまとめます。そもそも乳は自分の仔を育てるために与えるものですから、それに相応しい成分が適正な組成で含まれています。表1にウシ、ヒト、ウマ、およびブタの乳組成を示します。
人乳は牛乳と比べ、
- 乳糖が多く、たんぱく質やカルシウムなどミネラルが少ない。
- たんぱく質ではホエイたんぱく質がカゼインより多く、カゼインではαS1-カゼインよりもβ-カゼインが多く、αS2-カゼインは存在せず、κ-カゼインには大量の糖鎖が結合しています。牛乳のκ-カゼインにも糖鎖が結合していますが、結合量は人乳のそれに比べ少ない。
- 脂肪含量に大差はありませんが、人乳には不飽和脂肪酸が多い特徴があります。さらに母親の食生活に影響され、魚の摂取が多い日本人ではヨーロッパ人のそれに比べ不飽和脂肪酸の割合が高い。
- ホエイたんぱく質では牛乳中の主要ホエイたんぱく質であるβ-ラクトグロブリン(β-Lg)が人乳には存在しません。その代わりラクトフェリンが多く、免疫グロブリンについてもIgGよりSIgA(分泌型IgA、2分子のIgAがJ鎖と呼ばれるたんぱく質で結ばれ、さらにsecretary component(分泌因子)というたんぱく質で覆われている 図)が主たる免疫グロブリンとなっています。SIgAはIgAより感染防御力が高い。人乳にβ-Lgがないのは何故か、あるいは逆に牛乳のβ-Lgの役割は何かについては未だに不明です。
- 牛乳中の主たるオリゴ糖は乳糖にガラクトースが結合したガラクトシルラクトースですが、人乳に含まれるオリゴ糖は種類も量も豊富です。
その他、人乳には様々な微量成分が含まれています。
人乳には免疫関連成分が多いのが特徴です。乳の成分や濃度はその動物の子育て方法と密接に関連しています。すなわち、出生時の発達段階(新生児の体重/母の体重)、出生後の成長速度、1回の分娩で出生する仔の数、動物の生息環境(陸か海か、乾燥地か湿潤地かなど)により乳の特徴が変わります(浦島ら、化学と生物 62(11): 534-542, 2024)。人乳には牛乳より免疫機能を有する成分が多いのですが、牛乳でも初乳では免疫グロブリン(IgG)やラクトフェリンがたっぷり含まれています。すなわち、自己防衛力が弱いうちは、ミルクによって外敵からの攻撃と戦っているのです。人乳には乳糖や様々なオリゴ糖が豊富に含まれており、乳児の腸内細菌叢形成に寄与しています。腸内細菌叢は感染防御に重要であるばかりでなく、先月のコラムにて説明したように健康機能にとっても重要です。
人乳は子の成長より感染防御に重点を置いたミルクであり、牛乳は感染防御もさることながらたんぱく質、特にカゼインが多く、カルシウムも豊富に含まれていることから仔の成長により重点をおいたミルクだということが言えます。ヒトの場合は親が外敵から子を守るのに対し、ウィルスや有害菌からの攻撃に弱いことから感染防御に力点を置いたミルクとなっており、ウシの場合は狼などの外敵に襲われる可能性が高いので、早期に立ち上がり逃げる能力を身につけることが可能なミルクとなっていると考えられます。
牛乳はたんぱく質やミネラルが多く、新生児の腎臓に負担をかけることから母乳の代替にはなりません。では、母乳を飲ませることができない場合はどうしたらよいのでしょうか。その代替が育児用調整粉乳です(写真)。調整粉乳は牛乳から分離精製した乳成分を原料にして人乳の組成に近似させた粉乳です。たんぱく質は脱脂粉乳とホエイたんぱく質を使います。人乳はホエイたんぱく質が多いのでホエイたんぱく質が重要です。また、人乳はミネラルが牛乳より低いので、使用するホエイたんぱく質に含まれているミネラルを脱塩したホエイたんぱく質を使います。人乳の脂肪酸組成は不飽和脂肪酸が多いので、植物油や魚油などを使います。これらで補えない脂肪酸、アミノ酸、ビタミンやミネラルは個別に添加して人乳に合わせます。さらに、オリゴ糖、ラクトフェリン、糖脂質など感染防御因子も人乳並ではありませんが添加します。海外の乳児用調整粉乳にはビヒダス菌を添加したものもあります。
母乳のみで育った子と育児用調整粉乳のみで成長した子の身体的特徴や病気への罹患には大差ありません。なので、母乳育児か育児用調整粉乳で育てるかについて神経質になる必要はありません。
なので、赤ちゃんを母乳で育てられない方でも悩む必要はありません。赤ちゃん用の調整粉乳を使ってください。
「乳科学 マルド博士のミルク語り」は毎月20日に更新しています。
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