乳科学 マルド博士のミルク語り

何故馬乳からチーズを作らないのか

2021年2月20日掲載

馬乳はロシアのバシコルトスタン共和国(ウラル山脈南部とその周辺の平原地域)やモンゴルで利用されていますが、その多くは馬乳酒として飲用されています。馬乳酒を飲んでいるコサック兵は結核にならないと言い伝えられ、野菜や果物を食べる機会が少なかった草原の牧民にとって貴重なビタミンC源(牛乳や馬乳にはビタミンCは含まれていませんが、馬乳酒発酵過程でビタミンCが生成されます)だったと考えられています(石井智美、北海道民俗学誌 no10: 87-95, 2014)。馬の搾乳量は牛よりは少ないのですが、それでも10-30kg/日は搾乳できるようです(Dorea & Boulot, Livestock Prod. Sci. 22: 213-235, 1989)
しかし、直接飲用したり、ヨーグルトやチーズに加工したりすることはありません。何故でしょうか?

まず、馬乳は人乳に匹敵するほど大量の乳糖を含んでいます。そのため、乳糖に耐性のない人々(乳糖を消化吸収できない人々。乳糖耐性のない人は私たち日本人を含め世界中に分布しています。)は馬乳を多飲すると不快な症状「乳糖不耐症」をもたらします。しかし、ヨーグルトやチーズなら食べることが可能です。それなのに、馬乳を原料としたヨーグルトやチーズはありません。何故でしょうか?
いくつかの理由が考えられます。まず、馬乳のたんぱく質や脂肪は牛乳の半分しかなく、歩留が低いためヨーグルトやチーズ製造に向いていません(表1)。ここまではご存知の方もいらっしゃると思います。しかし、もっと根本的な欠点が馬乳にはあるのです。

表2をご覧ください。馬乳は牛乳に比べてαs1-カゼインとκ-カゼインが少なく、β-カゼインが多いことが特徴です。特に、κ-カゼイン含量は牛乳の1/10未満です。κ-カゼインが少ないのでカゼインミセルの大きさも牛乳のそれに比べて大きくなっています。牛乳のカゼインミセルでは、pHが6.7ではマイナスに帯電したκ-カゼインが表面を覆っていて、電気的な反発によりカゼインミセルが凝集しないと考えられています。κ-カゼインが少ないと電気的反発は弱くなりカゼインミセルは凝集しやすくなります。なら、ヨーグルトやチーズを作りやすいハズだと考えるのは当然です。でも、実際はそうはなりません。何故だ!?

牛κ-カゼインには糖鎖が結合しているものと結合していないものがあるのに対し、馬κ-カゼインは全てびっしりと糖鎖が結合しています。糖鎖は水との親和性が高く、大量の水をまとっています。馬カゼインから馬κ-カゼインを単離した後に牛レンネットを作用させると馬κ-カゼインを切断しますが、単離されていない状態、すなわち馬のカゼインミセルには牛レンネットは殆ど働かないのです。理由はよく分かっていませんが、牛レンネットは馬κ-カゼインの糖鎖がじゃまで(立体障害)、糖鎖ジャングルの奥深くまで侵入できないのではとの考え方があります。

また、馬のカゼインミセルの表面にはβ-カゼインのリン酸化されていないOH基(注1)が多いと考えられています(図を参照)。OH基も水との親和性が高く、水を随伴しています。pHが下がればカゼインミセルのマイナス電荷は減り、電気的反発は低下します。しかし、水和が多いのでカゼインミセルが凝集しにくいのです。なので、ヨーグルトやチーズの製造に必要なしっかりしたカードが生成されないのです。(注2)

少し分かりにくかったかもしれませんが、C.P.A.大学(2021年3月~5月の予定)にて乳の安定性と凝集を理解していただけるような話をしますので、ご関心のある方は是非ご参加ください。

(注1)
アミノ酸のセリンとスレオニンがOH基を持っており、セリンのOH基にはリン酸が結合し、さらにカルシウムも結合し複雑な構造をもったナノクラスター(2020年6月20日コラム参照)を形成します。

(注2)
pHを4.2まで下げるとふわふわした凝集物は生じますが、牛乳ヨーグルトのようなカードにはなりません。


「乳科学 マルド博士のミルク語り」は毎月20日に更新しています。

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