フロマGのチーズときどき食文化

ブリオッシュの謎

2011年1月4日掲載

ブリオッシュというあのヘソのあるパンは皆さんもうすっかりおなじみですね。このパンには虚実取り混ぜて、様々な伝説がある謎の多い菓子パンなのです。

ユーモラスな形のブリオッシュ

その最たるものは、1789年、飢えた民衆がパリからヴェルサイュ宮殿に「パンよこせ!」のデモをかけた時、それを聞いたオーストリアのお姫様出身の王妃マリー・アントワネットは、無邪気に「パンがなければブリオッシュを食べればいいのにね」といったとか、いわなかったとか。いや、お菓子を食べれば・・といったという説もある。

当時の民衆は、ふすま入りの粗末なパンさえ手に入れるのが難しかったのに、バターや砂糖、卵などを使ったブリオッシュの様な高級品はまさに高嶺の花。王妃のこの発言に民衆の怒りに火が付き、フランス革命に発展していくという訳です。

小話好きのフランス人の話としては面白いけど、歴史はそれほど単純ではありません。

さて、かつてフランスの料理界にパリの三ツ星レストランを持つオーナー・シェフで業界随一の碩学、物知りと謳われたレイモン・オリヴィエという人がいて、彼が書いた「フランス食卓史」は、フランス料理の知識の宝庫でした。私も随分お世話になった本ですが、その中に、ブリオッシュは初期の頃はブリ・チーズを脂肪として持ち上げた(オシュした)菓子であった・・と書いています。この持ち上げるという言い方はフランス料理特有の表現らしいのですが、長くなるので書きません。

このパンが出来たのはバターの産地であるノルマンディー地方で、16世紀の事だと言う説があります。語源は古いノルマン語のブリ(つぶす)とオシュ(ゆすぶる)から出来ているそうですが、意味がよく分かりませんね。

また、ポーランドやオーストリアではビール酵母でブリオッシュ様の物が作られていたのが、元ポーランド王で18世紀に、フランスのロレーヌ地方を治めたスタニスラス公によってこの地方に伝えられたという記述もあります。余談ですがこのスタニスラス公(読み方はいろいろある)はフランスのお菓子を語る時しばしば登場しますので、以後お見知りおきを。

朝市で売られているブリ

ラルース料理百科事典にも、ブリオッシュが最初に作られたのはパリの東のブリ地方で最初はブリ・チーズを練り込んで作られた、という一部の研究家が信奉している説も紹介しています。

日本では高度成長期の時代、家庭でパンを焼く事がブームになり、パンの本がたくさん出版されましたが、中でも美味しくて愛嬌があるブリオッシュは人気がありました。

ところがです、ブリオッシュに異変が起こっています。今回、この原稿を書くために、軽い気持ちでブリオッシュを買いにパン屋に出かけました。ところがない!パン屋にブリオッシュがない。簡単に手に入るものと思っていましたが、結局5軒目のパン屋でやっと発見しました。それも3個しかなかった。誰でも知っているパンだからどこにでもあると思っていたのにどうした事でしょう。謎がまた一つ増えました。