世界のチーズぶらり旅

歴史に彩られたパリ盆地の名品

2016年6月1日掲載

遥かなるパリ盆地

日本からパリに向かう飛行機はベルギーあたりから高度を下げフランスに入ると広大なパリ盆が見えてくる。眼下に濃い緑の森に縁どられた広々とした畑地が続き、所々に僧院やシャトーが見え隠れする。この豊かで広大な盆地から、どれだけ多くの個性的なチーズが生まれたことか。その中の逸品中の逸品といえば、味もさることながら、その雄大な形、そして第一級の歴史に彩られたブリ上げなければならないだろう。

ブリの聖地モーの町

かつてチーズは貧乏人の肉といわれ、宮廷の晩餐会に出されることはなかった。そんな中で、例外的に王侯貴族との伝説を持つチーズといえば、まずロックフォールが挙げられるが、パリ近郊のモーの町周辺で作られていたブリもロックフォール同様、カール大帝が食したという言い伝えがあるから、8世紀にはすでに存在していた。それだけではなく、中世のフランスの宮廷でもてはやされ、紳士が淑女を口説くアイテムに使われたという話まである。

初めて味わったブリ

ブリといえばブリ・ド・モーというAOP名(原産地名称保護)の通りパリの東30kmにあるマルヌ川沿いのモー(Maux)の町を中心に作られていた。現在は北東のロレーヌ圏まで生産地を広げているが、当時は産地がパリに近かったため、パリの王宮でも簡単に入手できたのだろう。

しかし、後にこのチーズは2度までフランスの危機に立ち会う事になる。

一度目はフランス革命の時。パリに幽閉されていたルイ16世とマリー・アントワネットとその家族は変装してパリ脱出を図る。だが4頭立ての立派な馬車で逃走したので目立ち過ぎて、パリの東190kmほど先のヴァレンヌという小さな町で見破られ、彼らは商家の二階に監禁されてしまう。しかし初めて庶民の家に上がり込んだルイ16世は悠然として騒がずワインとチーズを所望する。そして自ら、ナイフで猛烈に大きなチーズの一片を切り取った、と「マリー・アントワネット:岩波文庫」の伝記作家は書いている。

ブリをシャンパーニュと共に

このチーズが何であったかは書かれていないが、この辺りの大きなチーズといえばブリではないか。この事を土地のブリの業者に話すと、それはブリに間違いないといった。さて、フランス革命後の混乱に乗じて台頭したのがナポレオンである。そのナポレオンもロシア戦線で敗れて流刑になり、混乱したヨーロッパをどうするかと、戦勝国が集まったのが、例の「会議は踊る」のウイーン会議である。ここで何とチーズコンテストが開かれる。各国から52種類のチーズが集められ、チーズの王に選ばれたのがブリであった。そのためかどうかは解らないが敗戦国フランスの栄光は保たれ、ナポレオン、エルバ島脱出の報を受けるや会議はウヤムヤの内に解散となる。

私が最初にこの巨大な白カビチーズを食べたのは、1990年、モーの近郊にある熟成室での事であった。当時の印象はかなり濃厚で妖艶な味わいであったと記憶している。あれから20数年後、再度産地の工房で、極上のブリを味わう事になった。そのチーズはロレーヌ圏近くの黄金色の麦畑を望む草上の食卓にシャンパーニュと一緒に現れた。それは、ふた昔も前にモーの町で味わった物に比べ、新時代のブリなのか、カビが真っで白く美しく、味わいも一段と華麗であった。