イタリアといえば、国中に数千年の歴史が詰まった遺跡がちりばめられているから、地中海に浮かぶのどかな島、サルデーニャにゆく観光客は少ないようである。この島はシチリアに次いで、地中海では2番目に大きな島だが、日本でも知られるような目ぼしい観光地はない。だが、この島には波瀾に富む長い歴史の中で独特の文化を育て、現在も特有の島人気質や風習が残っていて、それ故に現在はイタリアの特別自治州になっている。いまではイタリアでも最も過疎の進んだ地域というから、島中にのどかな田園風景が広がっている。車で島を走ってみて、まず目に付くのは羊の群れである。それに、ヌラーゲと呼ぶ石を積み上げた塚のような古代の遺跡がある。これを作ったのは、数千年来この島に住み着いたヌラーゲ人で、なんと島中に7千個もあるというが、大方は長い年月に風化され、自然に同化し島の風景の一つになっている。
この島にも昔から多くの侵略者や海賊などが去来したが、島民はその都度島の奥深くに移り住み、決して他民族に同化されず、戦う牧羊民族として特有の文化を守ってきたのだという。しかし、近代になって、この誇り高き島にイタリア本土から侵攻してきたものがある。それが、主都ローマがあるラツィオ州から来た羊乳チーズ、ペコリーノ・ロマーノである。ペコリーノとは羊乳チーズの総称で、ほとんど全土でつくられているイタリアでは最もポピュラーなチーズのジャンルだ。歴史は古く、イタリアの先住民のエトルリア人がつくり始めたとされている。
チーズを学んだ人はお解りのように、ヨーロッパには「原産地名称保護=イタリアではD.O.C.」制度というものがあり、原則的には生産地を特定し、そのエリア内で作られる伝統チーズの製法などを統一し、合格した物にそれぞれの「原産地名」を名乗ることが許される。フランスなどでは結構厳しいようだが、そこはイタリアらしい緩やかさというのか、このサルデーニャに堂々と「ロマーノ」という原産地を名乗るチーズの製造所が進出してきたのだ。しかも、この島にもペコリーノ・サルドとフィオーレ・サルドというこの島名を名乗るD.O.C.認証チーズの他、無数のペコリーノがあるにも関わらずである。
ペコリーノ・ロマーノ(以下ロマーノ)は元来、首都ローマがあるラツィオ州を中心に作られていた30kgもある、羊乳チーズとしては巨大なチーズだ。しかし、本土の集乳エリアは都市化が進み、大量の羊乳を確保するのが難しくなる。加えて20世紀初頭にイタリア南部からアメリカに渡った多くの移民たちが、ふる里のチーズ、ロマーノを恋しがったため輸出が伸びて生産が増え続ける。こうして本土では、原料の羊乳の確保ができなくなった製造業者は、自然が残る羊の島、サルデーニャに工場を移転し始める。島のチーズとどう折り合いをつけたのか、現在では9割以上のロマーノがサルデーニャで作られている。
この島を訪れたのは6月。
道端には真っ赤なヒナゲシや黄色いエニシダが咲き、草地には羊が群れている。サルデーニャは南部より北部の方が、緑が濃く工場も北部にある。訪ねてみれば、山の中の小さな町になかなか大規模な工場があった。そこでは島民とおぼしき人達がチーズを作っていた。島のD.O.C.認証チーズも作っているが、圧倒的にロマーノの生産が多そうだ。やはり市場性のある商品にはかなわないという事か。よそ者のチーズを作っている島の人達の想いはどうなのだろうか。工場で試食に出されたチーズには、ロマーノはなかった。工場に併設されたチーズの売店をのぞくと、街の人も買いに来るのだろう。かなり多くの種類のチーズが並んでいる。山羊乳のチーズもあるが、D.O.C.指定のチーズ置いてなかった。島の人は、古くからある地元のチーズを求め、高価なD.O.C.チーズは買わないのかもしれない。