世界のチーズぶらり旅

モンゴル高原の朝

2015年9月1日掲載

草原の日の出

今年は記録的な猛暑が続いた夏だったので、爽やかなモンゴル高原の朝の風景をお届けしよう。一枚目の写真。これは日の出間もなくの風景で、草原の太陽は地平線から出て地平線に沈む。だからこんな長い影が撮れる。モンゴルにいくと、みなこんな写真を撮るようで、作家の開高健氏も撮った。写真の左側は夜間小動物の群れを狼から守るための囲いで、日が昇ると山羊と羊の混合部隊は野に放たれる。真ん中に見えるゲル(可動式テント)が筆者のホテル?で、場違いな車は昨夜私を運んできたもの。

家畜を放つ。手前のゲルが私の宿

筆者がモンゴル行きを決めたのは、朝日文庫の「モンゴル紀行」で司馬遼太郎氏と開高健氏の遊牧に関しての対談を読んでの事であった。要約すれば次のとおり。 開高健氏。羊はアホだから、ほっとくと一か所の草を根こそぎやっちゃう。翌年草が生えない。羊の群れに山羊を混ぜると山羊がトットと先頭を歩き、その後に羊の群れが従って移動していく。遊牧というのは絶え間なく移動させ、太らせ、子を産ませる作業だ。 司馬遼太郎氏。古代ギリシャ人はそのことを知らず、羊が草を食べつくし、ギリシャ文明が滅んだのでは?、といい、同時期に黒海北岸でスキタイ人が遊牧というシステムを開発したとしている。それが数千年かかってモンゴル高原まで伝えられていったのである。

スーティー・ツアイ

これには感動しましたね。草だけを頼りに生きる。生活をシンプルにし、家さえフェルトの可動式のテント(ゲル)で、組み立ても撤収も一時間でできる。トイレなし風呂なし、台所なし、燃料は乾燥牛糞。現在では、ソーラー発電でテレビや携帯等が使えるようだが、基本は変わっていない。ぜひ行ってみたいと思い専門の旅行社に掛け合った。遊牧民のゲルに泊まり家族と同じものを食べ、チーズやヨーグルト作りを見たりして、3日間ほどでいいから草と空しかないモンゴル高原で暮らしたい。ほぼ望み通りの一人旅になった。

夕方ウランバートルの空港をでると、丸刈りのダルマのような男が現れ、流暢な日本語で私を確認すると即座にトヨタのワゴンに荷物と私を押し込み、舗装された一本道を西に向けてぶっ飛ばす。50kmも走ったところで、舗装道路をはずれ草原の道なき道を走り回り、この近くのどこかにある訪問先のゲルを探す。夕闇が迫る頃やっとホストファミリーのゲルを発見。家族は5人でゲルは3棟。最も小さいのが旅行社所有の(多分)客用のいわば私のホテル、といっても風呂なしトイレなしは同じ。モンゴル・ウオッカで歓迎を受けたあと、何やら餃子のようなものが出た。モンゴル料理には中国の影響が見られる。腹を満たしてから、わがホテルに入ると、牛糞ストーブが赤々と燃えていた。当然電燈はないから持参のヘッドランプで寝床を整え、早々に眠りについた。

出来立てのヨーグルト

翌朝、日の出前に起床。快晴無風である。草原の丘はブルーの影を引きながら大きくうねって彼方まで続いている。息をのむ光景だ。日が昇ると家畜の群れは草原に放たれる。行く方向は日によって違うようだ。しかし家畜の群れは移動を始め間もなく丘の向こうに消えた。家畜を野に放つと朝食だ。まずはドンブリいっぱいの塩味のスーティ・ツアイ(ミルクティー)がでて、次には挽き割り麦のミルク粥のようなものを、この家の男の子が私のゲルに運んできた。出来立ての自家製ヨーグルトも味わった。

チーズを作る。燃料は乾燥牛糞

遊牧民の昼間は意外にのんびりしている。家畜の鳴き声も聞こえない。ゲルの中では女たちが、ヨーグルトの仕込みや、乳脂肪をとった後のヨーグルトを火にかけて煮詰め、アーロールというチーズを作る。これは乾燥させて冬用の保存食にするが、出来立てを味見したら強烈に酸っぱかった。 翌日は天気が悪くみぞれが降った。外に出られないと何もすることがない。頼みの燃料の乾燥牛糞も尽きて、その夜は寒さに震えながら朝を迎えた。