世界のチーズぶらり旅

アンダルシア幻想紀行

2015年8月1日掲載

老いも若きもフラメンコ

ある年の早春に羊のチーズとハモン・イベリコを訪ねて、スペインの西部から南部のアンダルシア地方を旅した。スペイン東部のエストレ・マドゥーラ地方といえば、樹木らしきものといえば、たまにコルク樫がまばらに生えているくらいで、あとはオリーヴの畑以外は草原なのだが、この草原も夏には太陽に焼かれ一面の枯野になると、スペインに住んで「ゴヤ」の伝記を書いた堀田善衛氏が書いていたが、早春だったせいか草原には短い草が萌え、羊の群れがその草を食んでいた。とはいえ、遠くに山蔭は見えるものの、早春ののどかさはなく、地平線と青い空だけのシュールな世界である。この平原に点在する羊乳チーズの工房を訪ねながら南下し、更には当時、日本で話題になり始めたハモン・イベリコの工房を訪ねてベジョータ(ドングリで肥育した豚)というやつを堪能したのだった。

バレンシア名物のパエリア

エストレ・マドゥーラの探訪を終えるとまっすぐ南下し、まずはアンダルシア地方の古都セヴィーリャに立ち寄った。チーズの旅は大都会にはあまり用がないのだが、セヴィーリャに入って驚いた。道ゆく女性という女性は老いも若きもすべてきらびやかなフラメンコの衣装をまとい、ゆらゆらと街中を漂っているのだ。セヴィーリャの春の空は青く透明で、太陽は極彩色の衣装を更に華やかに見せる。祭りには疎い筆者は知らなかったが、これは有名な春の大祭の一つであるらしい。キラキラと古都を群れ飛ぶ極彩色の蝶達に酔いながら、ふらりと街中のレストランに入り、型どおりパエリアを食べ、良く冷えたサングリアで喉を潤してから、更に南下し海岸線に近い小さな村を目指した。 800年間イベリア半島を占拠したアラブイスラムの支配は、15世紀後半グラナダの陥落で終わりを告げるが、この辺りは彼らの最後の守りの最前線であった。この地方にはフロンテラ(Frontera)という町がいくつかあるが、これには国境とか前線などの意味がある。

アンダルシアのチーズ

ジブラルタル海峡に近い東側は山が迫っていて、その岩山の陰にはいくつかの白い村が点在している。これらの村は戦乱の時期には隠れ里として作られたのだろうが、今では幻想的な白い村街道として人気の観光ルートになっている。このあたりは木々も多くスペインとしては気候的にはさほど過酷ではないらしく、谷あいには牛や山羊の姿も見える。その日は谷間の白い村に一泊。翌日近くの岩山の下にあるチーズ工房を訪ねた。ここまで来るとチーズは見たこともない未知の物だが、作り方は変わった様子はない。ここでは山羊乳、それに山羊と羊の混乳のチーズを二個買いこんだが、旅の途中で食べるには多すぎた。

絶壁の上の町アルコス

スペイン幻想の旅の最後はフロンテラという名の二つの町を訪ねた。まずは数百㍍の絶壁の上に作られたアルコス・デ・ラ・フロンテラ。正面は絶壁で背後の斜面には真っ白な家がびっしりと軒を接し、迷路のようになっている。坂道を登りきると目もくらむ絶壁で、岩盤が固いせいか、垂直の岩壁ギリギリに家や教会が立っていて、眺めは抜群である。ここでは古そうなレストランに入り、いかにも地方料理らしい煮込みや実だくさんのスープを堪能し、ゆったりと午後のひとときを過ごしたあと、最後の目的地シェリー酒の町ヘレス・デラ・フロンテラを目指す。夕方ヘレスの町に着くとすぐホテルに荷物を預け、この町から20kmあまりの海岸の町サンルカール・デ・バラメダで大西洋に沈む夕日を浴びようと出発。海水浴場になっている海岸線にはレストランやバルが並んでいるが、シーズン前なので人はまばら。まずは近くのバルできりりと冷えたマンサニーリャ(シェリーの一種)を飲みながらアンダルシア最後の夕景を楽しむ。そして、日没の後の残照を浴びながら大西洋の海鮮料理を心行くまで堪能したのだった。

浜辺のバルで飲むマンサニーリャ