世界のチーズぶらり旅

フランスで伝統チーズを作る日本人

2015年1月1日掲載

スキー場から見たレ・ジェの町並

 前回と同様まだフランスの東部のオート・サヴォワにいる。前にも書いた通り、この地方はアルプス山脈の西端にあたり、北部はレマン湖に接している。そのレマン湖の南岸にミネラルウオーターで有名な湖畔の美しい町エヴィアン・レ・バンがある。その町から山道を20kmほど南下すればアボンダンス村である。すでに書いた通りこの辺りで作られる伝統チーズのアボンダンスの名はこの村にちなんだものだが、その原料乳を提供する牛の名もアボンダンスである。このような例はなかなか珍しい。だがこのチーズはこの村だけの特産ではなくオート・サヴォワ県のほぼ全域で作られている。

可愛らしいチーズ工房

 今回訪ねる日本人のチーズ職人が働く工房はアボンダンス村から峠を越え15kmほど南下したレ・ジェ(Les Gets)の町はずれにあった。標高1000mを越えるこの村はかなり大きなスキー場に囲まれた冬のリゾート地で、ベランダに草花の鉢を並べた木造りの美しい建物が並んでいる。スーパーのカルフールの建物でさえシャレー風だ。しかし夏のスキーリゾート地は閑散としていてのどかである。観光用に動いているロープウエィで登ってみると、広大なスキー場は夏草が青々と茂っていて一部には羊などが放たれ草を食んでいるのが見える。この町の古いホテルを足場にして、日本人がたった一人でアボンダンスを作る工房を訪ねた。レ・ジェの町から車でほんの少し走ると、エピセアの林を背景にした白壁にカウベルや車輪などを飾ったかわいらしい仕事場があった。同じ敷地内には小さな売店やレストランもありフォンデューやラクレットも食べられるようだ。

アボンダンスを仕込むY氏

 ここでチーズを作っているY氏は、すでに雑誌やネットなどで紹介されているが、フランス国立酪農・畜産学校をでて農協系のチーズ工房で2年ばかり修業し、この地にやってきたのが2009年。現在はオーナーの全幅の信頼得てオート・サヴォワの至宝ともいうべき古典チーズ、アボンダンスのほか数種のチーズを一人で作っている。小さいながら清潔な仕事場でその作業工程を見せてもらったが、彼の仕事ぶりは日本人らしく真にていねいで繊細である。その成果は熟成室に並ぶチーズに現れている。どのチーズも形がきれいで、手入れが行き届いていて実に美しい。後に同系統のチーズの熟成室を複数見たが、味はともかく見た目はかなりワイルドだった。やはりこれこそが日本人の職人の仕事である。

肌合いが美しいチーズ達

 最下段の写真はY氏が作り出したというトムである。トムという名のチーズはサヴォワからプロヴァンス地方にかけて作られる中型のチーズで、最も有名なのはI.G.P.(地理的表示保護)指定のトム・ド・サヴォワである。Tommeという言葉には諸説あるが「チーズ・その伝統と背景」(泉圭一郎著)によれば、この言葉はチーズの塊を意味するプロヴァンス語に由来するとしている。このチーズの特徴は表面に様々なカビや菌類など雑多な微生物を繁殖させるため、それが土壁のような醜悪ともいえる表皮ができる。しかし、それらの微生物が厚みのある独特な旨味を作り出すのだ。土地に住み着いている複数の微生物を利用するこのチーズは、土地の環境や作り手によって様々な味わいを出すことができるのだという。Y氏のトムはこの町の名をとりTOMME DES GETSの名で売られていた。

Y氏オリジナルのトム

 Y氏は定期的に子供達や観光客を工房に招きいれ、流暢なフランス語でチーズ造りの工程を説明しながら、地元チーズの普及に努めている。チーズ大国フランスといえどもチーズの作り方を知らない人は沢山いる。味噌の作り方を知らない日本人がいっぱいいるのと同じである。Y氏はこうしたことを通して、地域の人達や牛乳生産者の信頼を得獲得しつつハンデを乗り越え、更に質の高いチーズ作りを目指している。日本人ってすごい!