フロマGのチーズときどき食文化

山のチーズ、平野のチーズ

2016年8月15日掲載

フランスやイタリアなどのチーズ大国?を旅するときは、できるだけ地方都市の市場(いちば)をめぐることにしています。市場を見ればその国の、地方や町の生活や文化の一端を垣間見ることができるといいますが、そんな事より市場は只々楽しいのです。特にチーズ大国のチーズ売り場は壮観です。もう何十年も通っているのに、行くたびに知らないチーズの方が圧倒的に多いのには滅入ってしまう程です。どうしてこのように意表をつく形や大きさのチーズが生まれるのだろうか。そのあたりの事情は次の言葉に含まれています。

「チーズの形と大きさを決定したのは、人間の環境とその土地の社会学である」

ド迫力のチーズ売り場

何やら難しそうですが、これは20世紀の中頃活躍した、パリの高名なチーズ商、ピエール・アンドゥルーエ氏の言葉です。まあ、簡単に言うと、数世紀にわたる人間の複雑な生活環境や知恵によって、様々なチーズの形や大きさが出来上がってきたというわけです。例えば山のチーズといわれるスイスやフランスの山岳地帯で作られるものは、固くて大きな車輪型をしています。アルプス地方の厳しい風土の中では、季節移牧といって夏には村中の家畜を高原に追い上げてチーズを作り、秋口には谷に降りて冬越する。その時にチーズは長い冬の重要な食糧になるので、長持するチーズにしなくてはならない。その結果水分が少なく密度の高い熟成期間の長いチーズが出来上がったのです。また馬の背や人力で山からチーズ運び降ろすためには、ある程度の大きさと固さが必要でした。それに円盤型なのは、表皮にすり込む塩を中心部まで早く均等に浸透させるため、などなどです。

固くて大きい山のチーズ

それに対して、村や町が点在する平原で作られるチーズは、小型で水分が多く熟成期間の短いチーズが作られてきました。規模の小さい農家作りでは「乳搾り女」といわれる農家のおかみさんがチーズ作りの主役で、先代から受け継いだ作り方でチーズを作り、そして彼女たちは定期的に、村や町の広場などで開かれる市場で自作のチーズを売ったのです。

平原の柔らかいチーズ

フランスには「一つの村に、一つのチーズ」という言い方がありますが、同じ村のチーズでも作り手のおばさんによって、形や大きさが違っていたかも知れません。このような環境から生まれた無数のチーズ中から、優れた物が現在に生き残ってきたのでしょう。200年前にノルマンディのマリーおばさんが作ったというカマンベールのように。

現代のチェダーチーズ

また、中世にヨーロッパの各地に作られた修道院もチーズ開発の中心的役割を果たします。特にフランス北部に多いウオッシュタイプのチーズは修道院のチーズといわれ、数々の名品が生み出されました。

交通事情がよくなり、市場経済が発達してくると市場の動向によって新しいチーズが作られます。16世紀以降、いち早く市場経済が発達したイギリスでは、チーズ市場に力を持つ仲買人が現れ、生産者に、従来の乾燥し目減りのする小さな円盤型のチーズを大型にするように要求します。こうしてイギリスでは、次々に伝統チーズの形が失われ、水分蒸発の少ない円筒形の物が作られるようになっていきます。現在イギリスを代表する大型のチェダーや、チェシャーもともとは4~5kgほどの円盤型のチーズだったようです。

世界をめぐったオランダのチーズ

一方、オランダは国家戦略として輸出に特化した、保存性の高いゴーダとエダムで成功し、オランダ経済を支えます。大航海時代オランダのチーズは船員の食糧として各国の船に積まれ世界を駆け巡り、1691年ゴーダとエダムは将軍綱吉に献上されます。

やがて、ヨーロッパのチーズも工業生産の時代を迎えますが、他方では伝統チーズも脈々と受け継がれて行きます。今では伝統的な農家作りのチーズが人気が高まり、消滅しかけた伝統チーズの復活が話題になったりしていますが、まだまだ地方へ行けば、一つの村に、一つのチーズ、的な場面に遭遇することも珍しくありません。私のチーズの旅はいつまで経っても見知らぬチーズに出会う旅になってしまうのです。