フロマGのチーズときどき食文化

創られたカマンベール伝説

2015年7月15日掲載

多彩なカマンベールのラベル

 世界で最も多く食べられてきたチーズといえばカマンベールだ!とあえて言いたいですね。それは消費量ではなく、カマンベールと名のつくチーズを世界中の人が食べているという事です。今私の手元にはフランスで出版された230を超えるカマンベールのラベルをコレクションした本がありますが、その中には自国のカマンベールの他にヨーロッパ各国やアメリカやモロッコのカマンベールもあるんですね。

 現在日本のチーズ工房は150戸ともいわれていますが、1970年代の頃からでき始めたチーズ工房では、初めにカマンベールを作りました。ちょうど大手の乳業会社がカマンベールの量産を始めたので、知名度が高く売りやすかったのでしょう。

初代のマリー・アレル像

当時日本では、このカマンベールを発明したのはフランスのノルマンディー地方のカマンベール村に住む農婦のマリー・アレルで、このチーズをナポレオンに献上しキスを頂いたなどという伝説が流布されていました。フランス革命が起こって間もなくの事ですが、この話には無理があります。その頃、このチーズらしきものはすでに存在していたといいますし、ナポレオンがこの片田舎に立ち寄ったという記録はないのです。フランスの資料ではマリーおばさんは、この辺りで作られていたチーズを広める役割を果たしたに過ぎないとしているのです。そしてナポレオンの事は現地でもらったパンフレットによるとマリーおばさんの娘婿がナポレオン3世に献上したことになっているのです。

二代目のマリー・アレル像

 しかし1926年のある日、カマンベールに大いに世話になったというアメリカ人が、カマンベール村に近いヴィムーチェの村に現れて、カマンベールを発明したマリー・アレルの記念碑を建てたいと申し出る。村の人は驚いた。マリーおばさんがこのチーズの発明者だなんて誰も知らなかったのです。しかしくだんのアメリカ人はお金を寄付して、彫像付きの立派な記念碑を建て、元大統領が除幕式を挙行するなど大騒ぎになるのです。でも、この記念碑は第二次世界大戦の上陸作戦の時に破壊されてしまいます。今、ヴィムーチェの役場の広場に立っているのは、またもアメリカ人の寄付によって建てられた二代目のマリー・アレルですが、顔は都会的なほっそりした美形に作り替えられているのです。先代のマリー像のレプリカは村のカマンベール博物館にあって、写真のようにいかにも農家の主婦らしいがっしりとした風貌だったのですね。

白カビが美しい現代のカマンベー

 この片田舎で作られていたチーズが、なぜ他を圧して世界的にメジャーになったかといえば前記のようなエピソードの他にいくつかの要因がありました。形や大きさが手ごろで、同じ地方産のポン・レヴェックやリヴァロほど個性が強くなかったこともパリなどで人気が出る要因だったかも知れません。何より大きかったのは、あのポプラ材でできた経木の丸いパッケージの発明です。これのおかげで遠くまで運べるようになりパリでブレイクし、フランス軍の御用達まで出世するのです。その頃のカマンベールは今ほど白くはなかったそうですが、現在の様にフェルトのような白カビに覆われるようになるのは20世紀に入ってからだといわれています。こうしてスターダムにのし上がったカマンベールは、フランス全土はもとより、世界中でイミテーションが作られるようになるのです。

AOP指定の本物のカマンベール

 このように、フランスならばどこにでもありそうな地方のチーズが世界を制覇するきっかけとなったのは、地元ではなく、よそで創られたカマンベール伝説がその役割の一端を担ったといえるでしょう。おかげでAOP(原産地名称保護)指定の、本家本元のカマンベール・ド・ノルマンディは苦戦を強いらえることになるのです。