粉を吹いた薄いピンク色の波打つ表皮を慎重にはがしていくと、クリーム色にとろけた妖艶な中身が現れる。息をつめて見守っていた周りの人たちの頬がゆるむ。モン・ドールの季節がやってくるとこんな情景が心に浮かびます。Mont d’Orとは金の山という意味。これはフランスのジュラ山地にある山の名前からきています。
スイスと国境を接するジュラ山中では、昔から地域ごとにフリュイティエールという共同組合が工房を持ち、地域の農家が牛乳を持ち寄って大型のコンテを作っていました。でも、冬になると乳量は減り、山は雪に閉ざされて牛乳の運搬も困難になる。そこで、農家はこの時期、自家用に小型のチーズを作っていました。その一つがモン・ドールだったという事です。これがパリにデビューし、やがて日本でも食べられるようになるのです。本来、製造は11月から3月いっぱいまでと決められていた冬のチーズだったのですが、人気が出たため(多分)製造開始が8月に繰り上がったのです。しかし、干し草を食べる時期の牛乳から作ったものがよりおいしいといわれているので、やはりモン・ドールは冬のチーズといってもいいでしょう。
モン・ドールの変わっている所は、側面をエピセア(épicéa)の樹皮で巻いて熟成させることです。そこで、このエピセアとは何か調べてみましたが辞書によって訳語がまちまちです。針樅(ハリモミ)、唐檜(トウヒ)などの他にエゾ松などの訳もあるので、北海道の山地で見られるエゾ松と同種なのでしょう。ジュラやアルプスの山すそはエピセアの森におおわれています。この豊かな樹木を牛乳を温めるときの燃料にするなどチーズ作りに利用してきたのです。右の写真の背景に見られる濃い緑の木々がエピセアです。このエピセアの樹皮をチーズに巻きつけることで、柔らかいモン・ドールの型崩れを防ぎ、更には気品のある香りと深い味わいを作り出すのです。最終的にはエピセアの薄板でつくった曲げ輪っぱに収められ出荷されます。理想的に熟成したものは、神々しいまでにクリーミィーと表現する人もいます。クリスマスやお正月にはぜひ奮発したい極上の冬のチーズです。
モン・ドールの歴史はあまり明快ではないようですが、商品としてはまだ新しいようです。ある資料によればモン・ドールは1970年代くらいまではパリのチーズ商の間でも知られておらず、やっと1986年頃「パリで流行のチーズ」になったと報じています。日本に本格的に輸入されるようになったのは10年と少し前の事です。少々値は張りますが、今では割合手に入りやすくなりましたが、チーズ好きとしては季節限定という所がかえって魅力的ではありませんか。クリスマスや正月にみんなで集まって、現地の農家風にオーブンで焼いた熱々のじゃがいもと食べる味は、やはり冬のハレの日のご馳走ですね。
話は変わりますが、ジュラのスイス側にも同じチーズがあります。こちらはヴァシュラン・モン・ドールといいますが、かつてはこちらの方が有名だったとか。作り方はフランス産とほぼ同じですが、サイズはやや小さめ。フランスとスイスの国境はジュラ山脈を二分していますが、昔からチーズの文化圏は同じだったのです。フランスのコンテもスイスのグリュイエールも、作り方や姿形からしても同種類のチーズなのです。フランスのモン・ドールは無殺菌乳で作るのに対しスイスの物は低温加熱処理(63℃1分)の牛乳でつくります。そのためかスイスのモン・ドールは風味がやや穏やかな気がします。