フランスの国内には高い山がない。アルプスもピレネー山脈も隣国との国境にある。その代わりフランスには、パリ盆地といわれる広大な平野があり、この盆地は北西にある隣国のベルギーまで続いているのである。
これまで半世紀ほどかけて、ワインやチーズを求めてフランス本土をめぐってきたが、最後に残ったのがパリ盆地の北西部であった。たびたびフランスを訪れるという人でも、観光地らしき所がないこの地方には行った事がないという人が多いのである。パリからこの地域を北に向かって走りだすと、やがて大消費地のパリに送られる野菜を作る畑がどこまでも続いている。そんな道を更に北に向かって走っていると、時どき大きな泥の山が現れる。これは、ボタ山といって、かつて石炭を採掘したときに出る石や泥を積み上げたもの。この地方はフランスの重要な石炭の産地だったのである。今では広大な畑の両側には白くてスマートな風車がずらり並び、プロペラを回して発電中であった。
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ベルギーの近くまで行くと畑地は牧草地に代わり、そこには山羊や牛などの姿があり、牧草地に囲まれた小さなチーズ工房も見られるようになる。この辺りで造られるチーズといえば、フランスの他の地方と違った形ものが多い。そして、ここで初めて目にした牛は毛色が白黒の牛であった。この牛の原産地は、ここからはさほど遠くないライン川下流のデルタ地帯で、ホルシュタイン・フリーシアンという種類の牛で、後にアメリカやカナダに渡って乳用種として改良される。その後、日本にもやってきて北海道の開拓史に大きな役割を果たすのである。筆者の生家は北海道の開拓酪農家だったので、この牛の乳を飲んで育ったので、この子牛たちの姿を見て思わずこみ上げて来るものがあった。
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さて、チーズの話である。フランス北西部のこの辺りには大きな工場は無く、チーズ工房と言いたくなるような小さな製造所がそれぞれ独特な形や味のチーズを作っているのである。
この地方はチーズの種類は多いけれど、フランスのAOPに指定されているものは少なく、日本で知られているのはザブトン型のマロワール(Maroilles)だけ。そして、この地方のチーズはほとんどがウォッシュ・タイプで、形が変わっている上に、チーズの生地をアナトーという色素で着色している物が多い。特にベルギーとの国境近くの平原には、中小の工房が点在していて、それぞれが独自に考案したチーズを作っているのである。
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写真④の小さな砲弾型のブーレット・ダベンヌというチーズは、なぜか半世紀ほど前にある小さな商社が、一度だけ日本に輸入したのを覚えていたので、懐かしさのあまりシャッターを切ったのが写真④である。こうして、二日間かけて複数のチーズ工房を回ったけれど、様々な形や色のチーズをすべて覚えるなどとても無理であった。
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この旅の案内人は、日本のチーズ店で働いていたフランス人だったけれど、昼食の時間になると、彼はいきなり我々を大きな山羊牧場の産室に案内した。敷きわらを敷いた大きな部屋には100頭ほどの山羊がいて、見ている間に子供を生み落とす。そんな産室の中央で晩餐会をしようというのだ。写真⑤がその風景だが、山羊のお産を見て男性陣はビビっていたけれど、女性達は平然とワインやこの地方のビールを楽しんでいた。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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