フロマGのチーズときどき食文化

じゃがいもと出会って生まれた簡単チーズ料理

2023年12月15日掲載

① チーズのイベントに出た!ラクレットのオブジェ

年末になると知り合いの複数のグループの忘年会などでは、チーズを溶かしてジャガイモと一緒に食べるラクレット料理が必ず登場する。これはもう20数年前から続いているだろうか。この料理が日本のホテルで初めて披露されときには長い行列ができた。実は、その時のこの料理のサービス役を勤めたのは私で、この、手間がかからず簡単にでき、しかも美味しいこのチーズ料理を日本に定着させたいという思いでこの役を買って出たのです。今ではこのラクレット料理も日本にすっかりと定着し、多くのワイン会やのチーズのイベントなどでも、単純だけれどなぜか後を引く、この料理が登場するようになるのです。

② ラクレットに原料をくれるエラン種牛。闘牛にもなる。

もう30年以上前の話になるけれど、大手の出版社が、日本初の『チーズ図鑑』を発刊するべく、筆者が勤務していた乳業会社と共に動き出したのが、1980年頃で、それからほぼ1年間、出版社の取材陣はフランスやイタリアを中心に、ヨーロッパの国々のチーズの取材に駆け回ることになるのです。しかし、現地で取材の頼りになるのは、ヨーロッパ在住の数少ないチーズ通の日本人に頼るしかなかったようです。そこで、この事業に投資していたわが社の中にも少数ながらチーズに精通している人もいて、これ等の人材が順次この取材に同行することになったのです。そんなわけで、当時、わが社が進めていた「チーズとワインの学校」の設立に関与していた筆者も、やっとこの取材旅行に同行するチャンスが与えられるのです。

③ 暖炉の火でチーズを溶かして

その時期は、もうすぐ冬が訪れる11月の初頭からほぼ1ヵ月間。初冬の西ヨーロッパの取材の旅に同行する事になるのです。この時の取材エリアは筆者が選定しあらかじめ取材スタッフに伝えていたので、私は、パリで取材スタッフと落ち合った時に取材ルートを確認。まず、パリ近郊のブリ(Brie)の産地を皮切りに、北東フランスのマンステルを取材。その後は、ドイツを通ってスイスに至り、そこからモンブラン・トンネルを抜けて南イタリアのナポリ郊外のモッツァレッラの産地まで、数千キロの長旅を中型のワゴン車で敢行したのです。そんな中で、このチーズ図鑑の発刊にも関与していたチーズの輸入商社の社長が、スイスのラクレットを今後日本に輸入したいので、特に入念に調べてくるよう私に頼んできたのです。そんなわけで、レマン湖の東岸でラクレット用のチーズを作っている小さな工房と、その近くでチーズを暖炉の火で焼いて客に提供していた山小屋を2日間かけて取材し撮影したのでした。

④ ラクレット用の 皮つきジャガイモ

フランスの北東部にあるレマン湖は、フランスとスイスの国境線上にあり、このレマン湖の東岸に国境を接しているのが、このラクレットの発祥の地のヴァレー州なのです。全国で中型の半硬質のチーズを作っているスイスでは、アルプスの少女ハイジの冒頭に出てくるように、小さく切ったチーズを暖炉の火で溶かしパンと一緒に食べるという事は、この国では、ごく普通の事だったのでしょう。それを専用の器具でチーズを溶かし、そして、これを、スイス産のジャガイモと一緒に食べるという事で、新しいレストラン料理に仕立てようとしたのです。筆者がこの地を訪れた時は、ラクレット(Raclette=削り取る)という言葉はまだ料理名で、この料理専用のチーズは無く、昔から作られていた中型の半硬質のチーズを半分に切り、その切り口を暖炉の火で溶かしサービスしていたのです。取材スタッフはそんな山小屋に案内され、そこで筆者は暖炉のわきで、チーズの溶け具合やサービスの仕方などを半日かけて教わる事になるのです。

⑤ 当時ラクレット料理に使われていたバーニュ(Bagnes)というチーズ

だが、それはさほど難しい技術ではなく、山小屋の暖炉の熾火(おきび)にチーズの切り口を当てて、溶けた部分を削り取り茹でたジャガイモと一緒に食べるという単純な料理なのです。だから、当時はこの料理が日本で人気者になり、ラクレットのオブジェの出現など考えもしなかったのでした。 

 

©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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