フロマGのチーズときどき食文化

チーズの名前は村の名前(6)

2023年2月15日掲載

1. 小さな村の大きな旅館

レマン湖の東岸から、ほぼ15km東に入ったスイス領の小さな谷間に、レティヴァという村があります。民家はせいぜい6~7軒だけれど、なぜかその中心地には3階建ての、かなり大きな「旅館」があり、我々はこの村と同名のA.O.P.チーズを見るために、この谷合いの旅館に宿を取ったのです。この村で最も近代的で大きな建物といえば、L’Etivazというチーズの熟成庫と売店なのです。日本ではあまり知られていないこのチーズは、スイスでも生産量が少ない比較的新しいチーズなのです。

2.村にあるレティヴァの熟成庫と売店

ある資料によれば、1930年代にスイスのチーズ業界に事件が起こります。スイスを代表するチーズである、グリュイエールを製造していたこの村周辺の酪農家のグループが、政府がこのチーズに課したある規制に反対し、この業界から脱退。1932年には独自の協同組合を作って新しいチーズの生産を始めたというのです。そして、この新しいチーズには、組合員の多かった村の名をとって、L`Etivazと名付けられたといわれています。だが、私たちがこの村を訪れた6月の初め頃は、この谷間の牧草地には牛の姿はいっさい見えなかった。そう、この時期になると牛達は山に登り、今が花盛りの高山植物を毎日食べて、このチーズのために薫り高い濃厚なミルクを供給しているのです。

3.立てて熟成させる高級品のレティヴァ・ア・ルビーブ

翌日は晴天。朝早く急坂に強い小型バスを貸し切り、ジグザクの車道をアルパージュと呼ばれる高山の放牧地に向かいます。この辺りの2000m級の岩山には、まだ地球が寒かった時代に存在した氷河で削られた急峻な岩壁があり、その下には氷河によって砕かれた岩や砂礫が堆積した台地があり、そこを「モレーン(Moraine)の丘」といいます。山の規模によって広さは違うけれど、そこは樹木が少なく夏から秋にかけて、たくさんの高山植物の花が咲き乱れ、牛達の絶好な放牧地になるのです。さて、急峻な坂道を登ってきたバスは小さな谷川の岸辺でストップ。そこからは3kmほどの山登りです。この手のツアーに多い女性たちは中腹のチーズ小屋まで行けるかと心配したけれど、森を抜けるとすぐに広大なモレーンの台地が目の前に広がり、そしてその遥か向こうに、牛の群れとチーズ小屋が見えた。すると、急坂にあえいでいたツアーの仲間たちは、皆歓声を上げ高山の花が咲き競う岩だらけの道を急いだのでした。

4.モレーンの台地にある夏場のチーズ小屋

さっそくチーズ小屋の中に案内されると、もうチーズ造りは始まっていた。製造室は冬の積雪に耐えるためか、頑丈にできているけれど内部はいかにも質素。写真のように天井に渡した粗削りの太い柱に大きな銅釜を吊るして、男女二人の職人(親子だろうか)が薪の火で温めた牛乳にレンネット加えて凝固させたカードを大きな麻布で掬い取っているところでした。こうして、昔風の道具を使い、古くからの製法を守りながら、いまもこのチーズは作られているのです。製造期間は5月10日~10月10日の5ヵ月間と短いけれど、春から秋にかけて高山の草花が次々に咲き競い、牛達はそれらを食んでその時期特有の芳香を持ったミルクを出します。こうした環境の中で、モレーンの台地では季節ごとに微妙に風味が異なるチーズが造り続けられているのでしょう。このようなモレーンの台地のチーズ小屋で、人口150人といわれるL‘Etivazという村の名が付いたチーズを味わう事ができたのは、私の長いチーズ巡礼の旅の中では第一級の体験でした。

5.今も昔風の製法で作られているL`Etivaz

 

 

 

 

 

 

©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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