世界のチーズぶらり旅

スペイン北西部のチーズとワインを訪ねて

2022年11月1日掲載

①:牧場があるバスク地方の山里

草木に覆われた山道を車で走りながら信州に似た風景だなと思ったが、ここはヨーロッパでも指折りの乾燥地帯を抱えたスペインである。この旅は大西洋のビスケー湾に面したスペインの北西部のサン・セバスチャンを起点にして、日本ではほとんど馴染みのない、この地方のチーズを探す旅なのである。これまでに、この国の特産品であるシェリー酒を始め、チーズ探訪のためにイベリア半島の重要な所は回ったが、北部は初めての訪問であった。だが、この辺りの馴染みのないチーズより、ピカソがこの地方で起こった戦争の惨状を描いたゲルニカが気になり調べて見ると、今回のチーズ探訪の旅の道筋にこのゲルニカ村があるのだ。また、同じくスペインの画家「ゴヤ」の伝記を書いた、日本の作家堀田善衛氏は、晩年この道筋の海岸にあるアンドリンという小村で奥さんと暮らし、「この村は人口が250人、牛も250頭」という書き出しで愉快なエッセイを書いている。これ等の村は、今回のチーズ探訪のルート上にあったので、ほんの少しの脇道への変更だけで村を通り抜けられると期待したが、これはチーズの旅であって、そんな昔の事を考える人はいそうにもない。誰もが初めて見て食べるこの国のチーズに興味津々なのだから、私の思いなどは雑念でしかないだろう。でも思いは残った。

②:放牧地へ急ぐヒツジの大群

二日目は早朝からこの地方特産のユニークな羊乳チーズの工房を見るため、まずはビスケー湾に面した海岸線の道を西に向かって走り、間もなく左に折れて起伏の多い緑の山道を走っていく。今日の最初の目的は「チーズの教本」に出てはいるが、見た事もないこの地方の羊乳チーズの生産現場を見る事であった。しばらくは緑の山道を走っていると、丘の上にかなり大きな畜舎とチーズ工房が見えてきた。車を降りて中に入ると体育館を思わせる大きな家畜小屋から、朝の搾乳を終えたヒツジ達が牧草地に向かって走り出るところであった。おそらく千頭はいたであろう。彼らが一斉に道路に出ると道幅一杯がヒツジだらけになり車は通れない。彼らは近くの草原に向かうのだろう。

③:イディアサバルの製造

我に返って工房に取って返すと、今朝搾ったばかりの羊乳を原料にイディアサバル(Idiazaval=D.O.P.)の製造が始まっていた。生産量は多そうだが、ここの工房もヨーロッパの伝統通り作り手は皆女性である。見学の後は型通りチーズの試食なのだったが、この地方では飲み物が違う。チーズにはシードラ(発泡性の林檎酒)が付いてくる。だが、この酒の爽やかな味わいに気を取られ、チーズの試食がおろそかになってしまう。

④:スペインでは数少ない牛乳製のチーズ工房

最初の工房の見学を終えて、しばらく山道を走ると古い大きな家の軒先にホルスタイン牛の絵看板がぶら下がっていた。この地方は草が豊富なので、スペインでは珍しく乳牛も飼われているのだろう。工房の玄関先に出荷されるチーズが籠に入れ置かれていたが、なぜか木材が置いてあるような、珍しい質感のチーズだった。その後さまざまなチーズに出会ったが、この地方のチーズは姿形が変わっていて、えー!これってチーズなの⁉というような製品によく出会った。

さて、最後にこの地方特産のシードラ(Sidra=微発泡の林檎酒)を見てみよう。フランス語ではシードル、英国ではサイダー。フランスでもノルマンディなど葡萄が育たない地方にも、このリンゴ酒はあるが生産量は少なく、食事時に飲んだりすることはあまりない。だが、このスペインの北西部ではシードラはレストランでも普通に出てくる。チーズ工房でのチーズの試食の時もすべてシードラであった。そして、この微発砲の林檎酒は、瓶の口に特殊な器具を装着し、高い位置からグラスに注ぐというパフォーマンスがある。最近はこの地方でも1970年代あたりからチャコリという微発泡性のワインも出てきたというが、ビンの形も大きさもシードラと似ているので、見分けがつきにくい。よくできたシードラは実に爽やかで飲みやすい。

⑤:バスクの林檎酒シードラの熟成庫

写真⑤は、大手のシードラの醸造所で撮ったものだが、巨大な樽が並んだ熟成庫の眺めは圧巻であった。工場主は大樽に開けられた小さなサンプル取り出し口から、シードラ取り出し試飲させてくれたが、とても若々しく爽やかな味わいであった。これまでのスペインのイメージに一瞬の爽やかさが加わった感じであった。

 


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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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