前号に続いて村の名前が付いたチーズを紹介します。今回は日本で最もよく知られているカマンベールです。
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このチーズ誕生の筋書きは、フランス西部のカマンベール村に近いヴィムーチェの町に、突然カマンベールに世話になったというアメリカ人がやってきて、このチーズの発明者だと彼らがいうマリー・アレルという農婦の記念碑を立てた事に始まるのです。でもこの話は現地の人達には、あまり信用されていないのでちょっと気が重いのですが、でも真偽の程はどうであろうと、カマンベールという村は現存しています。日本でいう限界集落状態の村で、カマンベール・チーズに関する小さな建物はあるけれど、その他に民家は4,5軒ほどで、世界に知られるチーズの誕生の地としてはちょっと地味すぎますね。でも隣町のヴィムーチの役場前の広場には、カマンベール・チーズを持った、若くて都会的な風貌のマリー・アレルの像(写真1)が建っています。でも、これは2代目のマリー・アレル像なんですね。
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初代の像は第二次世界大戦の、例のノルマンディー上陸作戦の時に破壊され、その後に建てられたのがこの美人の像なのです。でもすぐ近くにはカマンベール記念館らしきものがあり、そこでは初代のマリー・アレルの像(レプリカ:写真2)に会うことができます。
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フランス産の山羊乳チーズの産地はなぜかロワール川の下流域に集中している。そして、それらのチーズの形状がユニークで、しかも表面に木炭の粉をまぶした真っ黒なチーズが多いのです。その中で(写真3)の踏み台型をしたチーズはロワール川の支流にある小さなヴァランセ村のチーズです。
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しかし、その森に囲まれた村には可愛らしい城がある。ナポレオン時代の外務大臣だったタレイランが、この城に各国の要人を招きパーテイ外交を行ったというヴァランセ城です。そして、この村のチーズは真っ黒な踏み台型をしているけれど、これは元々美しいピラミッド型をしていたとか。ところが、皮肉屋のタレイラン外相が、ある日ナポレオンのエジプト遠征の失敗を皮肉り、このピラミッド型のチーズをナポレオンに献上した。すると、ナポレオンが怒ってチーズの上部を切り取ったとか。それでこのチーズはいまのような踏み台型になったというヨタ話しを、この城の案内人が語ってくれたのです。当時この城の厨房ではヨーロッパで最も有名なシェフ、アントナン・カレームが料理長を務めていたとか。厨房には今もその料理長の肖像画が飾られています。
南フランスで最も有名なチーズの村といえば、南仏の山の中にあるロックフォール・シュー・スルゾンでしょう。この村は南フランスの山の中あり、今では道路が整備されているけれど、それまでは、この村に到達するまで石灰岩の台地が林立する山道をバスで長時間走らなくてはならなかった。ウンザリした頃突然、岩壁に張り付いたような村が現れる。ロックフォール村です。
この辺りには、あちこちに巨大な石灰岩の台地があり、その中でも、多くのチーズの熟成には充分な広さの洞窟があるこの巨大な岩山が、ロックフォール・チーズのすべてを熟成させる場所になっているのです。昔は熟成室の中まで撮影させてくれたけれど、今はガラス張りの清潔で立派な部屋ができていて、洞窟内に並べられた熟成中のチーズをガラス越しに見るだけになっているのです。遠路はるばるバスに揺られてきてそれだけです。もちろん試食や、チーズを買うことができるけれど、この村はそれだけしかすることがない。周囲にそびえるテーブル型の石灰岩の台地を眺めて終わり。あとは長々とバスに乗って帰るだけです。
©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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