乳科学 マルド博士のミルク語り

函館地区における酪農乳業の発展

2022年7月20日掲載

日本の酪農乳業が本格的に発展したのは明治維新以降であることは皆様もよくご存じのことと思います。主たる発展の流れは3通りあります。第一は東京で、「ミルク一万年の会」で実施した「ブラミルク@東京」で発展の足跡をたどり、『東京ミルクものがたり』(前田浩史、矢澤好幸編、農文協、2022年3月31日)に詳しく紹介されています。すでにお読みになった方も多いかと思いますが、まだの方は是非一読されることをお勧めします。ごく簡単に紹介すると、皇居のすぐ横、雉子橋に搾乳所が、九段下には北辰社、築地に耕牧舎などの搾乳所があり、さらに現在の山手線周辺にも多くの牧場がありました。私は小学生の頃東京都練馬区に住んでいましたが、斜め隣が舎飼いの牧場で、毎朝鍋を持って牛乳をもらいに行っていました。明治初期は牛乳を欲しい人が搾乳所に行き、必要量を購入するというまさに同じ光景が一般的でした。

第二の流れは千葉県です。現在の南房総市付近に広大な嶺岡牧があり牛馬が飼育されていました。搾乳可能な牛は大切に雉子橋に運ばれ、白牛酪と呼ばれた一種の煉乳が作られ、幕臣や富裕商人などが食べたと言われています。明治以降、この煉乳技術が民間にも伝えられ、多くの煉乳製造者が生れました。当初は煉乳の品質は芳しくなかったのですが、「井上釜」が発明されると品質も向上しました。やがて、大手菓子メーカーが煉乳を原料にしたキャラメルなど菓子類が日本中に広がると、煉乳の確保がタイトになり、生乳の争奪が起こるほどでした(佐藤奨平、酪乳史研究 no10:30-44,2015)。

第三は函館です。1869年(明治3)に函館郊外の七重村(現、七飯町)に七重開墾場が設置されたのがスタートです。この土地は幕府軍の榎本武揚がプロシア人であったガルトネルに99年間貸与する契約をし、後に明治政府が買い戻した土地です。七重勧業試験所が設立され、1875年(明治8)に湯池定基が場長として着任し、エドウィン・ダンら米国人の指導によって本格的な酪農と乳製品製造が行われました。ここでは煉乳、チーズ、バター、アイスクリームなどの試作が行われました。特に、チーズについては日本人として初めての製造体験で、大変苦労したことはすでにC.P.A.コラム(2019年10月20日)に記載していますのでご覧ください。しかし、ダンは1年少々で札幌に異動となり、真駒内牧牛場を開設します。そしてここを起点とし、近代酪農乳業に発展していきました。

北海道は当初函館、札幌、根室の3県に分かれていましたが、1886年(明治19)年に北海道庁となりました。それと同時に予算が大幅にカットされ七重勧業試験所は閉鎖となってしまいました。七重勧業試験所で修得された様々な技術はどうなったのでしょうか。特に、そこで働いていた所員の「その後」が分かりません。

一方、厳律シトー会の男子部が1896年(明治29)に、続いて女子部が1898年(明治31)にそれぞれ函館にてトラピスト修道院およびトラピスチヌ天使園を開設しました。天使園ではチーズを、修道院ではバターや煉乳などを、後にはチーズも製造販売しました。当時の農商務省の統計(表)によれば大正~昭和初期にかけてトラピスチヌ天使園は日本における最大のチーズ生産量であり、日本のチーズ製造をリードしてきました。この表には生産量は少ないのですが、「大分牧畜」(大分県)、「竹本次男」(北海道木古内)、「奥平喜作」(兵庫県)、「鈴木牧場」(北海道木古内)などの小規模で、個人または家族経営と思われるチーズ生産者がいたことが認められます。これまで、本格的なチーズ工房は戦後に誕生したと考えられてきましたが、実は大正期にはチーズ工房の先駆けが存在していた可能性があります。

七重勧業試験所でチーズや様々な乳脂品を学んだ人たちの後日談を知りたい。木古内にあった鈴木牧場とはどんな牧場で、どこでチーズ作りを学んだのか。チーズ工房の先駆けだったのか。クリームをトラピスト修道院に納品していた鈴木牧場では脱脂乳からチーズを作っていたのか・・・。などなど様々な疑問がありますが、函館を中心とした道南地区の酪農乳業史については意外なことに謎に包まれています。そこで、自ら現地に赴いて調べてみてはどーなん、と考えました。

ミルク一万年の会には東京で実施されるブラミルクを地方でもやってもらえないかとの要望が寄せられています。ということで、ミルク一万年の会ではブラミルク@蝦夷を企画しました。企画内容は日本農業新聞の北海道版に掲載されました(写真)。9月17日の13時に函館駅西口付近に集合し、市電を利用して市内観光をします。ここでは2022年6月20日のC.P.A.コラムにてご紹介した時任牧場跡も訪れます。9月18日は8時に函館駅西口付近に集合した後、中型バスで七飯町歴史館(七重勧業試験所跡)にて学芸員の方にお話を伺った後、川田農場跡と七飯町道の駅にて農場で使用していた器具などを見物します。その後、木古内郷土資料館に行き、鈴木牧場の末裔の方にお話を伺います。さらにトラピスト修道院に行きますが、木古内からトラピスト修道院までの生乳やクリームを運搬した道のりを体感します。トラピスト修道院では修道士の方からお話を伺い、製酪工場の建物を外のみ見せてもらう予定です(中は老朽化しており入れません)。そして、新函館北斗駅および函館空港に向かい解散となります。現在、参加者募集中ですがまだ若干のゆとりがありますので、参加を希望される方はこちらまでご連絡ください。

 


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