フロマGのチーズときどき食文化

進化した暖炉の火で溶かして食べるチーズ料理

2022年6月15日掲載

① 暖炉の熾火でチーズを焼く

いま日本でラクレットというチーズ料理を知らない人は少ないでしょうが、この料理が日本に本格的に入ってきたのはそれほど古くはないのです。日本の出版社が本格的な『チーズ図鑑』を刊行したのが1993年ですが、その数年前から同社の取材陣はヨーロッパ各国を回りチーズの取材を行っていました。その頃大手乳業会社が日本初のチーズとワインの学校の設立に着手しており、当時としては格好な教材になるはずの、この『チーズ図鑑』の刊行も支援していたのです。そんなわけで、当時その学校の設立に関わっていた私は、このチーズ図鑑の何度目かの取材に同行を命じられほぼ一カ月かけてフランス、ドイツ、スイス、イタリアなどのチーズの産地巡りをしたのです。

② ラクレット料理に使われていたバーニュというチーズ

まずはフランスのパリ盆地の取材の後スイスに入り、当時話題になり始めたレマン湖に近いバレ州の郷土料理ラクレット(Raclette)という料理を取材するため、初冬のアルプスの山小屋を訪ねたのです。もとは牛舎だったというこの小屋の食堂には燃え盛る大きな暖炉があり、この暖炉の熾火(オキビ)にチーズをかざして溶かし(写真①)ジャガイモと一緒にサービスしていました。チーズを火で溶かしてパンなどと一緒に食べる事は、スイスなどでは古くからごく日常的な食べ方だったのでしょう。いまから140年以上前に書かれた「アルプスの少女ハイジ」の冒頭にも、ハイジがお爺さんの山小屋に預けられた時、最初に食べたのは暖炉の火で溶かしたチーズとパンだったとあります。スイスではこうしたごく普通のチーズの食べ方を、じゃがいもと合わせてレストラン料理としたのがラクレットなのです。最初の頃は直径30cmほどのチーズを半分にし、その切り口を暖炉などの裸火にかざし、溶けた所を削り取ってサービスしていたようですが、これにはチーズを溶かす火の設備と人手がいるので、本場のスイスでもフォンデュほどレストラン料理としては普及しなかったようです。やがて、食べながらでも簡単に操作できる電熱のラクレット・オーブンの発明により、この料理は一気に広がっていくのです。

③ 屋外パーティー用のオーブンでチーズを焼く

こうした状況の中で、これまでは、この料理に使われる特定のチーズはなくコンシュ(Conches)やバーニュ(Bagnes=写真2参照)など、数種類のハード系のチーズが使われていました。私が初めてこの地を取材したときは、まだ、これらのチーズが主流の様でした。やがて、このチーズ料理の人気が高まると、料理名と同名のRacletteというチーズが造られるようになるのです。この名前はフランス語の「削る」というそっけない言葉からきているけれど、発想は日本の「削り節」に似ていますね。

④ パリの農業祭に突如現れたラクレット。

そして、このチーズ料理に関してちょっと意外なのはフランスでした。もともとフランスでは、このチーズ料理を食べるのは、スイスと国境を接するサヴォワ地方に限られていたようです。長年フランスの田舎回りをしたけれど、この料理に出会ったことはなかった。それが毎年早春にパリで行われる、通称「農業祭」の会場に突然、大量のラクレットが出現したのです。会場の大きなレストランの各テーブルにはラクレット・オーブンが置かれ、通路にも立ち食い用のスタンドが並んでいて広い会場はラクレット一色なのです。そして、この時のフランスのラクレットの合いの手はジャガイモではなく、切れ目を入れたバゲットに生ハムをはさみ、そこに熔けたチーズを流しこんで食べるという、ちょっとおしゃれな食べ方でした。ラクレットも進化しているんですね。

⑤ 会場には立ち食いのスタンドも設置されていた

やがてこのラクレット料理は日本でも知られるようになる。最初に日本のパーティーでラクレットが食べられたのは1989年の「チーズ&ワインアカデミー」の開校式のパーティーの時で、私はこのラクレットのサービスを命じられたのですが、招待客は初めて見るこのチーズ料理を食べようと長蛇の列を作ったのを覚えています。時が流れ、日本では北海道十勝の宮島望氏が1990年代の初頭にこのチーズを作り始めると国内のラクレットの生産者も次第に増え、今では東京でもラクレットが食べられるレストランも随分増えているようです。


©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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