世界のチーズぶらり旅

アンダルシア地方の白い町へ

2022年6月1日掲載

① 広大なエストレマドゥーラ平原の夕景

スペインの首都マドリッドから南西に向けて車を走らせると、見渡す限りの広大な草原が現れる。ポルトガルと国境を接するエストレマドゥーラ州である。この草原には多くの羊の群れが放たれ貧弱な草を食みながら移動していく。そして、これらのヒツジ達のミルクからチーズを作る工房が点在していて、側面にレースを巻いて熟成させる不思議なチーズなどが作られている。
そんなスペイン西部の個性的なチーズを見ながら南下し、折からの春の大祭ですべての女性がフラメンコの衣装をまとって町に出るという日に、アンダルシア州のセビリアに立ち寄って昼食を取り、午後にはヘレス・デ・ラ・フロンテラという町に着いた。

② 町中の女性がフラメンコの衣装を着る日

イベリア半島の南端のジブラルタル海峡沿いの地名の最後に、この町のようにデ・ラ・フロンテラ(de la frontera)という単語が付く町が、ざっと数えても7コある。その言葉の意味は単純に訳せば国境とか境界となるが、そこには数千年もの歴史が刻まれているのである。イベリア半島とアフリカ大陸を隔てるジブラルタル海峡の幅は、せいぜい16kmで日本の津軽海峡(20km)より狭い。従ってこの海峡を渡りアフリカ大陸から様々な民族がこのイベリア半島に侵入してきたのである。まずは、2千年と少し前にはアフリカのカルタゴからハンニバルという将軍が、10万人の兵士と戦闘用のアフリカ象37頭を引き連れて上陸。そこから南仏を経由しアルプスを越えてイタリアに攻め入る。また711年頃からはイスラム教徒がやってきてイベリア半島を支配する。この様に多くの民族がこの海峡を渡ってイベリア半島に去来したのである。従ってデ・ラ・フロンテラとう名の町はこれらの異民族の侵入に備える最前線の防衛の町としてつくられたのだという。

③ アンダルシア地方のチーズ

その中で最も大きな町ヘレス・デ・ラ・フロンテラは近代になってからシェリー酒の町として世界に知られるようになるが、このアルコールを強化した白ワインは非常に複雑な作り方をするので詳しくは触れないが、数タイプあるシェリーの中で私はFino(辛口)が好きである。若い頃この酒に魅せられて、パリからはるばる列車を乗り継ぎこの町を訪ねた事がある。あれからほぼ半世紀、アンダルシアへのこの旅の最後はこのシェリーの町を起点として、スペイン南部のチーズと遺跡を訪ね歩いた。この辺りのチーズといえば羊乳や山羊乳製のものが多いようだが、日本では全く知られていないチーズばかりである。イベリア半島南部は中央部の大平原とは趣が異なり、岩山や谷もあり起伏に富んでいて、緑も多くコルク樫の林もある。そんな中にさほど規模は大きくないが、割合近代的な設備のチーズ工房が点在していて、羊乳や山羊乳を原料に見た事もない様々なチーズが作られている。スペイン語の読みが難しくチーズ名が覚えられないのでやたら写真を撮りまくった。チーズ造りが一段落すると近くの養豚業者が軽トラックにタンクを載せて、この工房にホエイを買いに来たので、その業者の豚舎を見せてもらうと、そこには全身真っ黒なイベリコ豚が飼われていた。この豚はやがてあの有名なハモン・イベリコという最高級の生ハムになるのだろう。

④ 断崖の上の白い町へ

チーズ工房巡りを終え、ヘレスに戻る途中の丘の上にある白い町、アルコス・デ・ラ・フロンテラで遅い昼食を取ろうと、建物の壁がすべて真っ白に塗られた狭い路地を登っていくと、幻想の世界を浮遊しているような不思議な感覚にとらわれてしまい、昼食に何を食べたか全く覚えていない。そして最後の夕食は宿泊地に近いアフリカが見える浜辺のレストランで取ることにし、まずは近くのBarでこの土地でしかできない、よく冷えたフィノ(辛口)・シェリーで乾杯し、長かったこの旅の終止符を打ったのであった。

⑤ お別れはよく冷えたフィノ・シェリーで


 

 

 

 

 


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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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