ダンチェッカーの草食叢書

第6回 『チーズ 散歩』新沼杏二さん

2021年4月10日掲載

古本屋や古本市で見かける古い(昭和時代の)チーズの本、というと頻度が多いのは新沼杏二さんの三冊です。視界に「チーズ」の文字が入って目を止めるとこれらの本であることが多く、「ああ、また会いましたね」と思うのです。

新沼杏二さんは1911(明治44)年北海道生まれ、2003年に92歳で亡くなられました。戦前は東京で歯科医院を開業されていましたが空襲で罹災し、戦後に雪印乳業へ入社します。デザインや広報などの仕事をされていたようです。
雪印入社後にチーズに強く興味を持って「世界のチーズをみんな食べてやる!」と決め(『チーズの話』「あとがき」より)、その通り広く旅して世界中のチーズを見て来られました。

『チーズ散歩』1967

随筆集『チーズ散歩』(昭森社)は1967年に発行されました。『続チーズ散歩』も1972年に同じく昭森社から出版されています。
この2冊は、雪印乳業のPR雑誌『SNOW』に連載されたコラムをまとめたものでした。帯には「SNOW誌に連載され、はからずも斯界の反響をよび起した随筆」とあります。
驚くのは、著者が1960年代にはすでに世界中のチーズを食べ歩いていたことで、南北ヨーロッパはもちろん、中東、ソ連(当時)、中国、インドなど実に広範囲で、当時としてはかなり稀有な存在だったことでしょう。
 

『続チーズ散歩』1972

フランスではサンピエールと呼ばれるマトウダイの刺身を石川県で食べて、聖人ゆかりのチーズ名につなげる「輪島のサン・ピエール」、ヤギの胴体の皮袋に詰めて熟成させるトルコのトルームというチーズについて寿司屋で語る「切腹チーズ」など、身近な会話からチーズの話題になるパターンが印象に残っています。『続チーズ散歩』の函の写真、口ひげのおじさんが背負っているのがその「トルーム」です。

会話文を多用した個性的な文章で、独特な雰囲気を持つ随筆です。上品な雰囲気を出しながら艶話を差し込んでくるのも特徴的で、読み手によって好き嫌いは分かれるかもしれません。

『チーズの話』(新潮選書 1983)は、雑誌「世界画報」の連載を編集したもので、前出の2冊と重複する話題もありますが、より世界のチーズに焦点を当てた内

『チーズの話』1983

容になっています。時に話は散漫になりますが、現在のチーズ好きにも共感できるところが多いのではないでしょうか。最後に「チーズの手引き」として12のチーズについて解説しているのですが、中途半端で蛇足のように見えて、それもエッセイ風になっていて見逃せないところです。

すでに遠くなった昭和時代、当時のチーズ好きの貴重な記録だと感じています。