フロマGのチーズときどき食文化

イタリア料理を変えたトマトの力

2020年7月15日掲載

イタリア料理を変えたトマトの力

1.赤ピーマンのようなトマト

15世紀以降、いわゆる「新大陸の発見」以来ヨーロッパにやってきた農作物はたくさんあるが、当時、飢饉に見舞われていたヨーロッパを飢えから救ったのが、南米原産のジャガイモでした。そして原産地が同じトウモロコシも人と家畜の食料として重要な作物になっていきます。このほかに、サツマイモ、カボチャ、インゲンマメ、トマト、トウガラシ(ピーマン)、ヒマワリなども新大陸由来の作物なのです。こうしてみると新大陸発見以前のヨーロッパには、意外と作物の種類が少なかったようです。この中でジャガイモは、ある国ではパンに代わる準主食としての役割を果たしたりするのですが、トウガラシなどは辛さのない種類がピーマンとなり野菜としての地位を築きます。そして激辛のトウガラシの方は、日本経由で朝鮮半島に上陸し、白菜の漬物を辛くしてキムチになる。

2.イタリア南部の市場の風景

さて、トマトの話です。トマトの原産地は南米のペルーで、ヨーロッパに到来した時期には諸説あるけど、人々はすぐに飛びついたわけではありません。長い間、ジャガイモ同様トマトも毒があるという風評が根強く食べる人はいなかった。しかし、トマトにもやがてチャンスがやってきます。舞台はイタリア半島の南部のナポリです。16世紀の中頃、スペインの船がスペイン領だったナポリにトマトの種を伝えますが、ここでもしばらくは観賞用として栽培はされただけでした。やがてある医師がこのトマトの性質を綿密に調べ上げ食用になることを証明したのですが、当時の料理人達はかたくなにトマトを料理の素材にしなかったのです。ようやく17世紀の末になってナポリの料理人が「スペイン風トマト・ソース」なる物を考案し肉料理などに使う事を提案する。そして18世紀になって、このトマト・ソースがナポリでパスタと出会い、やがて、それがイタリア各地のパスタ料理に様々な形で使われるようになるのです。

3.トマトと出会いマルゲリータが生まれた

ナポリとういえば、あの穴あきパスタであるマカロニの発祥の地で、早くから乾燥パスタの一大産地でした。ナポリの象徴ともいうべきヴェスヴィオ山は、西暦79年に大噴火を起こしてポンペイの町を埋め尽くしてしまいましたが、この山麓一帯は自然乾燥パスタの最適地として古くから知られており、パスタ王国のナポリを支えていたのです。そしてこのナポリのパスタがトマト・ソースと出会うことで、この取り合わせはイタリア全土に広がっていき、多くのバリエーションが生まれます。そして、ナポリの郷土料理ともいうべきピッツアにもトマト・ソースが使われピッツァ・マルゲリータが生まれる。イタリアのパスタは古い歴史があるけれど、トマト・ソースができるまではやたらに粉チーズを茹でたパスタに振りかけて食べていたそうです。

4.カプレーセ誕生の島で

少し古い話ですが、筆者はナポリ近郊で水牛乳のモッツァレッラの製造現場を取材したことがあり、その時ピッツァ・マルゲリータと、「カプレーゼ」という、当時まだ日本では知られていなかったトマトとモッツァレッラのサラダに出会ったのです。意訳すれば「カプリ風のサラダ」でしょうか。カプリとはナポリ湾に浮かぶ島の事です。それならば島に渡って、この島発祥といわれるサラダを食べてやろうと、高速船に乗ってこの小さな島を訪れたのでした。かつてはローマ皇帝の別邸があったこの島は、観光地として名高く瀟洒な豪邸が軒を連ねていました。島の鞍部からのナポリ湾の眺めは素晴らしく、断崖の上のレストランの窓際に席をとり、ヴェスヴィオ山を眺めながら念願のカプレーゼを堪能したのでした。

5.カプリ島のカプレーゼ










©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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