ダンチェッカーの草食叢書

第2回『チーズのきた道』鴇田文三郎先生

2020年8月10日掲載

今われわれが食べているチーズはどのように生まれ、伝播し、変化してきたのか。これは、チーズに魅せられたものならば、誰もが興味を持つところだと思います。
『チーズのきた道』は、そのような人類学の分野でチーズに特化して語られた、おそらく初の邦書です。しかし、書かれた鴇田先生は人文科学の専門家ではなく、乳化学の研究者でした。信州大学名誉教授で、信大農学部の学部長を務められた方です。

『チーズのきた道 世界のチーズと乳文化探訪』鴇田文三郎
河出書房新社 1977、1991 講談社学術文庫2010

講談社学術文庫(2010)

目次
・チーズ学事始め
・チーズ文化の起源
・ヨーロッパ史の中のチーズ文化
・アジアの乳文化
・日本のチーズ変遷
・「食べる」から見た乳とチーズ

鴇田先生は、学生時代に師事した中西武雄先生(東北大学)のゼミで3種類のチーズを食べさせてもらい、初めてチーズと出会ったと回想しています。
そしてドイツに留学された際にヨーロッパの比較言語学に興味を持ち、食品を表す名詞から食品の歴史へとのめりこんでいったそうです。
中西武雄先生というかたは、コウジカビによるチーズの熟成の研究を長くされて、日本の風土にあったチーズを創出するべしという主張のある先生でした。鴇田先生もその研究に名を連ねています。

初版(1977)と
新装販(1991)

『チーズのきた道』では、西アジアで始まった乳利用文化がヨーロッパやアジアの各地で風土に適応して発展したさまを述べられてから、風土や歴史への視点を欠いた日本の工業的な展開について「出涸らしヨーロッパ」になっていると嘆かれています。チーズの原型を忘れ、「故郷なき食事文化」へ進み、享楽的に美味を求めるならば滅びるであろう、と厳しいご意見です。前述した中西先生の主張とも重なるように感じます。
この本は、1991年にリニューアル出版され、さらに2010年に文庫化されました。まるで、鴇田先生の警告を忘れてはならぬ、といわれているような気がします。
初版から43年、われわれは先生のご心配を払拭することができたでしょうか。和食は世界遺産に認定され、チーズも日本ならではのものが作られつつある。少しはましな状況になってきたといえるのか。
やはり、今も折りにふれこの本を手に取る意味はなくなっていないと思います。

『乳一万年の足音』

1992年には『乳一万年の足音』(光琳/食の科学選書)という、バージョンアップ版ともいえる本を出されています。
こちらは『チーズのきた道』と同じ主張ながら、乳化学と乳文化の両面をさらに詳細に解説されています。

2019年に開催された酪農科学シンポジウムのテーマは「乳・乳製品の文理融合の科学」でした。近年、人文科学・社会科学と自然科学の間にあった隔たりをなくそうという動きが出てきています。
鴇田先生はその先駆けだったといえますが、ご自身の興味を広げる中で自然とその感覚を養われたのでしょう。
ぼくもチーズに関わる者として、稚拙ながらも文理融合の視点を持って励みたいと思っています。