世界のチーズぶらり旅

拓かれた美食の大平原をゆく

2020年5月1日掲載

拓かれた美食の大平原をゆく

1.干拓された美食の大平原

長靴に例えられるイタリア半島の付け根には西から北へ連なるアルプス山脈、その南にはアペニン山脈があり、そこから流れ出る豊かな水系がポーと呼ぶ(パダーナとも)広大な平原を開いた。乾燥地の多いイタリア半島にとってここは至宝というべき水の豊かな土地である。しかし、かつてはこの平原を流れるポー川の中流域には広大な湿地帯が広がっていた。12世紀の中頃、シトー会の修道士たちがこの湿地帯の干拓に乗り出し、以後数百年を費やしこの地を平坦で豊かな農地や牧草地に変えていったのである。現在ここはイタリア米の一大産地でもある。

2.クラッテッロの熟成庫

さて、この人の手によって拓かれた豊かなポー平原には世界に誇る極上の美味がいくつか点在する。その一つにまずは、パルマの生ハムを挙げたいのだが、現地人はその上に君臨する幻のハムがあるという。クラテッロ・ディ・ズィベッロという生ハムだ。これは豚の尻肉だけを切り取り、紐を巻きつけ卵型に整形し、ポー河畔の熟成庫で1年間熟成させる。かつては河畔のズィベッロ(Zibello)村周辺で、自家用とか贈り物用として細々と作られてきたもので、記録に現われるのは18世紀の中頃だという。それが広く知られるようになるのは20世紀の後半の事である。この個性的な希少な生ハムが有名になると、企業が乗り出しD.O.P.などを取得し工場生産に乗り出そうとする。だがこの生ハムの作り方が、あまりにも原始的でEUの衛生の基準に合わない。だが合わせると普通のハムになってしまうと作り手は拒否する等々、クラッテッロ戦争なるものが勃発したという。筆者がそのズィベッロ村を訪れたのは2009年の事であった。2点目の写真がそのクラッテッロの熟成庫である。その後村のレストランでこのハムを味わったが、その高貴な味わいもさることながら鮮紅色の美しさが心に残った。その後EUとどう折り合いをつけたのか、クラテッロはD.O.P.を取得し、今ではネットでも販売されている。

3.イタリアが誇るパルマ・ハム

さて、本命のパルマ・ハム(Prosciutto di Parma)だが、年間生産量はおよそ900万本だというから王者の風格充分だ。この生ハムはパルミジャーノ・レッジャーノとは兄弟ともいうべき関係にある。というのはこのハムの原料になる豚には、必ずこのチーズのホエーを与えるべしという規定があるからである。そしてこのハムの熟成もパルマ近郊の限定された場所で行う。そこには昔から開閉自在の窓が付いた熟成庫があり、その窓から自然の風を取り入れながら最低で1年間乾燥熟成させて、世界に誇るプロシュット・ディ・パルマに育て上げるのである。

4.樽で発酵と熟成を行うバルサミコ酢

次に紹介する逸品は、平原の東のモデナあたりで古くから作られてきたアチェート・バルサミコ(Aceto Balsamico)である。この酢は12世紀ごろから王侯貴族の間で愛用され「侯爵様の酢」などといわれてきたが、20世紀後半には絶滅の危機に瀕する。それを救ったのが、イタリア料理の変革を模索していたシェフ達で、彼らは新しい素材求めて国内を見渡しこの高貴なる食酢に出会うのである。これをきっかけにバルサミコ酢の名声は一気に高まる。だが本物は材質の違う小さな樽を並べ、一年ごとに樽から樽へと移し替えながら最低12年かけて熟成させるという希少な酢だからすぐに品不足になる。すると、たちまちまがい物が市場を席捲してしまう。本物の高級品はアチェート・バルサミコ・トラディツィオナーレ・デイ・モデナ(D.O.C)と称し、日本のネット通販でも1瓶(100ml)で3万円近い値段で売られている。

5.パルミジャーノにバルサミコ酢を振りかけて

最後はパルミジャーノ・レッジャーノに触れなければなるまい。筆者が最初にこのチーズを見るためレッジョ・エミリアを訪れたのは1990年の11月であった。だが滞在中の三日間は、この季節にポー平原を襲う「壁のような」と形容される濃霧に包まれ風景写真は1枚も取れなかった。だが、初めて見る巨大な熟成庫に黄金色の輝きを放って並ぶ膨大なチーズの量に度肝を抜かれた。その後いく度か訪れたが、近年ある工房を見学した際チーズの試食の時にその土地で作られるバルサミコ酢が添えられていたのが印象に残った。スペースが切れたのでチーズに関する詳しい話は本間るみ子氏の著作「パルミジャーノ・レッジャーノのすべて」をご覧あれ。

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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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