乳科学 マルド博士のミルク語り

生乳と牛乳

2018年10月20日掲載

生乳と牛乳

生乳と牛乳の違いについて、分かっているようで答えに窮する方も多いのでは?乳等省令によれば、生乳とは「搾取したままの牛の乳」と明確に定義されています。一方、牛乳とは一部の例外はありますが、直接飲用に供するもので、63℃30分間の加熱殺菌、もしくはこれと同等以上の殺菌効果を有する方法で殺菌したものです。つまり、殺菌の有無が大きな違いになります。
殺菌する目的は、生乳中の有害細菌を死滅させるためということもご承知のとおりです。しかし、生乳から牛乳に変わる過程で、乳の何がどう変化しているのか具体的に理解されている方は少ないのではないでしょうか。今回はこの違いについてご説明します(図、表参照)。
現在では搾乳環境は非常に衛生的になり、乳房も器具も消毒してから搾乳されます。しかし、搾乳直後から様々な微生物が混入する他、体細胞やゴミも含まれています。体細胞とは白血球、赤血球、上皮細胞など様々な細胞です。体細胞やゴミを除くために清澄化が行われます。牛が細菌やウィルスに感染すると白血球やマクロファージなどの細胞が増えます。なので、体細胞数の多い乳は乳房炎などの病気にかかっている可能性があり、製造所はそのような生乳を受け入れるわけにはいきません。
また、乳にはカゼインや脂肪などの主要成分以外にも様々な微量成分が含まれています。これらには抗菌作用を有するたんぱく質、たんぱく質分解酵素および脂肪分解酵素なども含まれています。抗菌作用を示すたんぱく質の代表例が“ラクトフェリン”です。ラクトフェリンは抗菌作用以外にも免疫を調節する機能や内臓脂肪蓄積を抑える作用など様々な機能を持っています。この他、ラクトパーオキシダーゼという酵素も大腸菌に対しては殺菌作用を、乳酸菌に対しては静菌作用(一時的に菌の増殖を抑える作用)を示します。また、カゼインを分解するプラスミンと呼ばれる酵素やカゼインからリンを切り出すアルカリホスファターゼという酵素なども生乳には含まれています。
これらのたんぱく質や酵素は生乳において雑菌の増殖を緩和する利点がある一方、カゼインが分解されると苦味を呈します。脂肪が分解され、空気や光によって酸化されると異風味の原因となることがあります。また、チーズ製造時に添加するスターターの働きが悪くなり、pHを下げるのに時間を要し作業時間が長引くことがあります。これら微量成分の多くは低温殺菌すれば活性が低下しますが、完全に活性がゼロになるわけではありません。ネットには「低温殺菌牛乳ではたんぱく質が熱変性していない」と書いているものもありますが、そんなことはありません。低温殺菌でもたんぱく質は変性します。したがって、搾乳後冷却し速やかにチーズ製造に供して乳のダメージをできるだけ抑えることが重要です。通常、搾乳は朝と夕方に行われますが、夕方に搾乳した生乳も「菌はその日から増え続けるのじゃ!!」となりますから搾乳後速やかに冷却する必要があります。生乳から無殺菌でチーズを製造する場合には、チーズの衛生面のみならず風味や組織に影響するリスクがある反面、生乳中に含まれる酵素や地域に特有の微生物の影響を上手に利用すれば他ではまねできない独自性のあるチーズを創ることができます。日本では生乳から無殺菌でチーズを製造することは乳等省令上では禁止されていませんが、管轄している保健所の許可を得ることが大変なのが実情です。
一方、チーズ製造で一般的に行われているLTLTやHTSTなどの低温殺菌では抗菌作用を示す酵素の活性が低下しますが、大腸菌や結核菌など有害な菌を殺すことができます。しかし、低温殺菌では死なない微生物は残ります。特に、食中毒菌のひとつであるセレウス菌などの芽胞菌はUHTでも生き残ります。したがって、低温殺菌しているからといって油断は禁物です。しかし、添加したスターターが増殖してくると、pHが下がります。酸性になると雑菌は増えにくくなります。さらに、特定の菌が桁外れに増えると少数派である雑菌は増殖に必要な栄養成分が少なくなります。ま、菌で菌を制御する戦略です。余談ですが、TVCMなどで、“除菌率99.9%”などと除菌効果を訴求している商品がありますが、106個/mLの菌を103個/mLに減らすことを意味します。決してゼロになるわけではありません。なので「菌は増え続けるのじゃ」となり、少数派であった有害菌が増え始めるリスクがあります。お気をつけください。