過日久しぶりに昔の仲間と江の島のヨットハーバーから小さなヨットに乗り相模湾のセーリングを楽しんだ。この江の島のハーバーは50年前の東京オリンピックの時に作られ、その後一般に公開されると一気に小型のレース用のヨットが増えた。その中にフライング・ダッチマンというオランダ人の設計による二人乗りの精悍な艇が目に付くようになる。オリンピック種目の舟だ。このような遊び用の帆船を最初に作ったのもオランダ人だという。この艇名を直訳すれば「空飛ぶオランダ人」。不思議な名前だが、頭にTheを付けると「伝説的なオランダの幽霊船」の他に「さまよえるオランダ人」という意味になるそうである。このことについて司馬遼太郎氏は「オランダ紀行」の中で10頁を費やしているがここでは深入りはしない。興味のある向きは司馬氏の本を読まれたい。
ネーデルランド(低地地方)と呼ばれた湿地帯を何世紀もかけ埋め立て、石も外国から買ってきて敷き詰め、自力で国土を広げてきたオランダ人だが、操船技術にも優れた海洋の民でもあり商人でもあった。世界をまたにかけて貿易をおこない一時はヨーロッパきっての経済大国になる。同時に広げた国土を牧場や畑に変えチーズを作りヨーロッパ各国に輸出した。かつて、フランスのボルドー地方は葡萄畑だらけで牧場はなく、めぼしいチーズがなかったためオランダからエダムを輸入しテト・ド・モール(死人の頭)と称してワインと一緒に楽しんだという。
16世紀、力をつけたオランダは、当時の超大国スペインの支配を脱するために80年戦争を戦う。当時オランダには王侯貴族はいなかったから一般市民が「チーズの木桶」をかぶって甲冑を付けたスペイン兵と戦った、と司馬氏の「オランダ紀行」に書かれている。私はこれを読んでハハァこれはゴーダチーズを成形する木製のモールドだなと思った。早くからオランダのチーズは重要な輸出品で、現在もゴーダとエダムの9割は輸出されているという。球形のエダムチーズは転がして船に積み込むために考案された、と何かで読んだことがあるような気がして資料を探したが見つからなかった。しかし合理主義者のオランダ人なら考えそうである。
日本人が初めて食べたチーズはオランダ産だった可能性は高い。最初に日本にきたヨーロッパ人はポルトガル人で彼らの目的の一つはキリスト教の伝導だったが、その陰に領土的野心を感じた秀吉はこれを禁止した。遅れてやってきたオランダ人は、ヨーロッパ人として唯一貿易を許され長崎の出島に商館を構えた。カピタンといわれた最高責任者は年に一度将軍に会うために江戸に上ったが、その旅に随行した医者の旅行記には、将軍は高官を使わし、カピタンにオランダのチーズを要請してきた。それに対して、自家用として持ってきたアイダム製乾酪(チーズ)とサフラン乾酪を贈ったとある。(「江戸たべもの歳時記」浜田義一郎著:中公文庫)。アイダムはエダムでサフランチーズはゴーダのこと。黄色いのでそう呼ばれていたらしい。
オランダの風景は清潔で美しい。緑に覆われた平原を縦横無尽に走る水路。そして所どころに排水用の風車がランドマークのように建っていて、オランダの風景を特色づけている。こんな言い方は矛盾しているが、こうしたオランダの自然の大方はオランダ人の手によって作られた。世界は神が作ったがオランダはオランダ人がつくったといわれる由縁である。九州ほどの広さしかないオランダだが、農産物の輸出は米国に次ぐ第2位(農水省)とは驚きである。野菜やチューリップなどの花の輸出が最も多いがチーズは2位である。改めてすごい国である。こうしてオランダを旅すると人間の知力と持続力の偉大さに加え、国土とは何か、国家とは何かというようなこと深く考えさせられてしまう。