世界のチーズぶらり旅

疲れた牛の休憩地ゴルゴンゾーラ村へ

2014年4月1日掲載

すっかり宅地化したゴルゴンゾーラ村

「ロシーニと料理(水谷彰良著:透土社)」という面白い本がある。若くして名を挙げたイタリアの作曲家ロシーニは44歳で引退し美食の道に入る。晩年はパリに住み美食三昧の日々を送るがやはり、イタリアの食材が恋しく知人に頼んで定期的にパリに送ってもらうのだが、それに対する礼状がこの本に紹介されている。その中に「ストラッキーノ」に対するお礼の手紙が何通もある。

セレブの別荘が並ぶコモ湖畔

北イタリアはミラノの東20kmほどの所にゴルゴンゾーラという町がある。今ではすっかり大都市ミラノに飲み込まれた感があるが、この町こそイタリアが誇るブルーチーズ発祥の地といわれる所である。資料によれば9世紀以来、パダーナ平野の小さな村だったゴルゴンゾーラはアルプスで過ごした牛達が、秋口に越冬地に帰る途中の重要な休憩地点だった。そしてこの村では長旅に疲れた牛のミルクから柔らかいチーズを作っていて、そのチーズをストラッキーノと呼んでいた。その意味はストラッコ(stracco=疲れた」から来ている。

サービスエリアで求めたゴルゴンゾーラ

牛達が山から戻る秋にしか作られないこのチーズが知られるようになるのは、名前の面白さもあったかも知れない。中でもゴルゴンゾーラ村のチーズに、ある職人の不手際で青かびが入った。それが今に伝えられゴルゴンゾーラになった。ストラッキーノというチーズは他にもあるので、村の名前を付けてストラッキーノ・ディ・ゴルゴンゾーラといった。現在ではあまり聞かないが、ロシーニの時代はまだこのチーズにストラッキーノを付けて呼んでいたのだろう。先にふれたように、かつてのゴルゴンゾーラ村は今ではミラノのベットタウンになり、チーズ工場はなくなってしまいこの地を訪れるチーズ関係者は少ない。それならばというわけで、このチーズの誕生の地をぜひ見たいと、ベルガモからミラノへ入る途中に寄り道してくれるようガイドに頼み込んだ。

巨大なゴルゴンゾーラの立て看板

北イタリアのチーズを探る旅の終盤、古都ベルガモからリゾート地として有名なコモ湖に立ち寄った。ここもいつかは来てみたいと思っていたが、さほどの感動はなかった。コモの町は美しいが、湖畔の斜面には世界中のセレブの高級別荘が並んでいるのだが、建物の様式も規模もバラバラで美しいとは言えない。コモでは軽い昼食を摂ってからゴルゴンゾーラへ向かった。高速道から一般道路に降りる手前のサービスエリアで休憩。イタリアのサービスエリアは楽しい。この地方の美味珍味が並び、チーズはもとよりワインも豊富だ。もちろんゴルゴンゾーラも並んでいたので2パック程買い求めた。

高速を降りてやや渋滞気味の狭い一般道路に入ると間もなく、ゴルゴンゾーラまで何キロの標識が見えたが、しばらくは平凡な家並みが続く。ほどなく道端にゴルゴンゾーラの巨大な立て看板が見えてきた。しばし車を路肩に止めて思い思いに写真を撮る。その間5分ほど、長年思いつめた地に立ったという感激に浸る間もなかったが、ミラノのホテルに着いてから、夕食後に千年以上前にこの村で生まれたチーズを改めてじっくりと味わった。

終着地ミラノの大聖堂

話しは変わるが日本人はこのチーズを語るとき、ロックフォールとスチルトンを合わせて世界三大ブルーチーズという。明確な根拠もないまま、皆合言葉のように使うが、誇り高き他の産地の人達はどう思うだろうか。外国の資料ではこのような記述に出会ったことはない。世界三大何がしが好きな日本人、「世界三大がっかり」とか、「世界三大無用の長物」なんていうのもあるけど、これならばシャレで笑い飛ばせるが、ものによっては見識を疑われかねないと思うのだが。