ポルトガルの北部で作られるワイン、ポルト酒(ポートワイン)については、先月少し書いたが今回は少し詳しく書こう。近頃はワインにうるさい人はごまんといるが、ポルト酒の話は聞いたことがない。半世紀ほど前、日本ではワインといえば、ポート・ワインだったが、そのことは先月書いた。ポルト酒は、何千年というワインの悠久の歴史から見ればたかだか3百年の世界である。ポルト酒が生まれたのは人々の生活の中からではなく、政治や商売上の思惑から生まれたのである。更に言えばこのワインはイギリス人によって作られたといっても過言ではない。
かつてワインのできないイギリスはボルドーを領有していたが百年戦争でボルドーを失い、宿敵フランスとの間でしばしば貿易が途絶えたために、仲買人はワインをイベリア半島に求めなくてはならなくなった。そこで最も近いポルトのワイン目を付けた。しかしポルトのワインは、ドウロ川の深い谷の奥で作られ舟でポルト港に運ばれていた。だが、ブドウを足で踏みつぶし、ワインを不衛生な山羊の皮袋に入れて小舟に積み強烈な炎天下をポルト港まで運んでいたため、質の悪いワインはすぐに劣化する。加えて皮袋の匂いがして飲めたものではなかった。そこで、発酵を終えたワインに少量のブランディーを加えることで、劣化を抑えようとした。これが良い方に向かうきっかけになる。やがて、ブドウ液の糖度が半分になるまで発酵させたあと、ブランディーを加えて発酵を止め、清潔な樽で輸送することでやがて、世界に冠たる甘口ワインになっていく。
ポルト酒の得意先はほとんどがイギリス人で、スチルトンとポルト酒の組み合わせなど、イギリスでは特有のポート・ワイン文化が形成されていくのである。
ポルト酒の産地はポルト港から東にドウロ川を遡ること100km。谷は深くなり両岸の急な斜面は、まさに耕して天に至る葡萄の段々畑だ。昔は、道もなかったので危険を冒してここから一枚帆の平舟で急流に乗ってワインを運んだ。今は道路も整備されトラックで運んでいるが、この船は今もポルト酒のシンボルとしてたくさん残されている。ワイン畑に覆われたアルト・ドウロと呼ばれるこの地区にもAOPチーズがあるが、ポルト酒のワイナリーがチーズの熟成にも関わっているというカーヴを訪ねた。ドウロ川左岸の段々畑の中にあるこのカーヴには、川とブドウ畑が見下ろせるPRルームがあり、そこで5種類のポルト酒と、数種類のチーズが試食に供された。谷に向かって大きく開いた窓から望まれる世界遺産に登録された、美しく整備されたブドウ畑とドウロ川を眺めながらの試食試飲はなかなか体験できない至福のひと時であった。
帰りは途中まで川沿いを走る列車で行くことにして、ポルトガルで最も美しいといわれるピニャオ駅で列車を待った。この駅は小さいながら外壁は15点ほどのアズレージョ(タイル絵)で飾られている。壁をタイル絵で飾るのは、かつてイベリア半島を支配したイスラムの文化だが、いち早く支配を脱したポルトガルは、アズレージョの絵のモチーフもイスラムが禁止している具象的な絵が描かれるようになっていく。ここに使われているブルーの染料にはコバルトが使われているが、この技法は遠く中国の景徳鎮からから伝わったともいわれ、さらには日本では染付といわれ、有田焼の茶わんなどの食器に使われているブルーにつながっているのである。ピニャオ駅のアズレージョには、ポルト酒のできる過程が細かく描かれている。こうしてポルトガルの片田舎の小さな駅のアズレージョの絵を眺めていると世界の人と文化のつながりの深さにぼう然とするのである。