ポルトガルはイベリア半島の西端にある南北に細長い国で、面積は北海道くらい。大西洋に面したところは緑が多いが、東側の内陸部は乾燥地が続き、貧弱な草地にコルク樫の林が多く見られる。車で走ると次々に風景が変わっていく風土の変化が激しい国である。
それに引き換えポルトガルの人達は穏やかでやさしくシャイなところがあり、かつての日本人にどこか似ている。日本にとって、今ではポルトガルは遠い国になってしまったが、日本に初めてヨーロッパからやってきたのはポルトガル人で、その後南蛮貿易が始まり鉄砲やキリスト教が伝えられた。タバコ、コンペトー、ベランダ、カッパ、ビロードなど沢山のポルトガル語が日本に残っている。
首都リスボンから東に約100km、ややスペイン国境に寄った所にエヴォラという世界遺産の町がある。町といっても、旧市街は直径1~1.5kmの城壁に囲まれていて、その中にいくつかの聖堂、修道院、大学、美術館などがあり、その間に民家がぎっしりと詰まりっているから、町の見物には時間がかからない。ここは1700年ほど前にローマ人が開いた町で、高台には古代ローマの神殿が残っている。
今の日本人にはほとんど知られていないこのポルトガルの地方都市に、いまから400年と少し前の戦国期に日本人の15歳の少年4人が訪れ、カテドラルでパイプオルガンを演奏したというのだ。 だけど、小田信長の時代、だれも知らなかったパイプオルガンなど、どうしてこの少年達は演奏出来たのか。いろんな説があるが、スペースがないのでここでは書かない。
彼らは織田信長の本能寺の変の少し前、ザビエルが所属していたカトリックの一派であるイエズス会の画策で、ローマ教皇に謁見するために、九州のキリシタン大名の配下の子弟から4名が選ばれ、
日本人として初めてヨーロッパに渡ったのである。「天生遣欧少年使節団」である。彼等はインド洋からアフリカの喜望峰を回り、長崎を出てから2年半後にやっとリスボンに上陸した。その後は陸路を通って遥かなローマを目指したのである。
その少年達が訪れたエヴォラの町の中心にあるカテドラルに行ってみた。写真が問題のパイプオルガンである。彼らの事は知識としては知っていたものの、この聖堂の中に立ってみて、親元を離れ2年半もかけてやってきた10代の少年達の心情を思って、柄になくじんときてしまった。
気を取り直してチーズの話に移ろう。ここには町の名と同じ名のエヴォラ(Evora)という羊乳を朝鮮アザミの雄シベのエキスで凝固させて作るDOP(原産地名称保護認定)の小型のチーズがある。このチーズを見るためにこの町にやってきたのだが、話はそれてしまった。チーズ工房見学は翌日ということで、夕食は町の雰囲気のあるレストランでゆったりと過ごす。例によって干ダラとひよこ豆のサラダに始まり、羊肉や猪肉の料理を食べた。最後に地元のチーズがだされたが、分からないチーズばかりだ。日本にはいかにポルトガルチーズの情報が少ないかを、翌朝見に行った市場でも痛感させられたのであった。