動物たちの鳴き声で目が覚めた。目を開くとゲルの天井にある煙出しが明るくなっている。思わず「ああ、モンゴル高原の朝だ」とつぶやき飛び起きた。昨日の夕方首都ウランバートルの空港からガイドの運転する三菱のジープに乗せられ草原の道を100kmほど西に走り、日暮れの頃に目的の遊牧民のこのゲル(遊牧民のテント)に着いたばかりだ。北極に近いこの地は夏の朝は早い。
外に出ると、お世話になっている一家が飼っている羊と山羊の混成部隊を草原に放つところであった。小動物達は夕方搾乳のため草原から連れ戻され、夜は狼よけの狭い柵の中で過ごしている。今日は快晴だ!地平線から太陽が顔を出し影が長く伸びる。そんな時、狭い囲いの戸が開き動物達は広大な草原に放たれる。
私がモンゴル行きのきっかけとなったのは、作家開高健氏の『モンゴル大紀行』というエッセイ集の、司馬遼太郎氏との対談でのひとことであった。その中で開高氏はこんなことをいっている。「羊はアホやから群れごと一か所にとどまって、そこの草を食い尽くすので来年以降そこは砂漠化する。その点、羊の群れに山羊を混ぜると彼らはトットと先に立って歩き、その後を羊が追いかけていくから砂漠にならない。」「羊の群れに山羊を混ぜるのは重要な事です。古代のギリシャ人はそれを知らなかったためにギリシャは荒蕪地になった」と司馬遼太郎氏。そして遊牧という生活文化は紀元前800年頃、黒海の北岸のスキタイで起こったとしている。「今も遊牧民の日常生活は昔とほとんど変わらない。キッチンがない風呂がないトイレがない・・」と開高氏。これを読んで私は遊牧民の生活に非常に興味が湧き彼らのゲルで暮らしてみたくなった。そこですぐにモンゴル専門の旅行社を探し、あわただしく4泊5日の旅に飛び立ったのである。旅行社には遊牧民の生活を知りたいので、食事は必ずホストの家族が食べているものと同じものをだすこと。特別のもてなしをしないなどの条件を出して、初夏のある日一人で羽田空港を飛び立ったのである。
世話になったホスト・ファミリーのゲルは3個あり、私が一夜を過ごした小さなゲルはおそらく現地の旅行社の物で、ここのファミリーに管理を委託しているようである。ここの家族は両親とその子供らが三人(真ん中が女の子)の5人家族でご主人は、草原で競走馬を育てているらしいが、自家用の乳製品を得るために150頭ほどの羊と山羊を野に放ち育てている。その日は一日晴天だったので、私はゲルの前の小高い丘の上に寝転び、山羊と羊の混成部隊がどのように移動していくかを眺めていた。やはり開高氏のいうように、かなり大きな群れでも、山羊がかわるがわる先頭になり、群れはどんどん移動してゆく。この時は6月の中旬で草もまだ貧弱だから群れの移動は早く、次々と違った群れが現れては過ぎ去っていくが、どの群れにも人はついていない。こうした光景を居眠りしながら何時間も眺めていた。夕方近くなると、この家の末っ子の少年が馬に乗り、早朝に遥かなる草原に放った動物の群れを探し当て連れ帰る。すると、すぐに柵の中に追い込み搾乳が始まる。山羊乳も羊乳も一緒くたである。そしてこの乳から粗製バターやヨーグルトなどの乳製品を作るのである。
朝食にはまずどんぶり一杯のスーティー・ツアイ(塩味の乳茶)がでる。翌日は雨で目の前にそびえる丘も見えなかった。母屋では前日搾った発酵ミルクからバターを取り、その後の酸乳を煮詰めてアーロールというチーズを作る。通訳なしの3日間だったが世話になった家族が総出で作った何種類も乳製品を味わう事ができたのはとても幸せな事だった。キッチンも風呂もなかったが、トイレは無限であった。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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