日本人がいうシャンパン、あるいはシャンペンという言葉は、フランス語ではシャンパーニュ(Champagne)といい、原野とか平原などを表す言葉だから、フランス各地に地名や村名として存在する。それが、ひとたびパリ東方の平原に産する発泡ワインのシャンパーニュとなれば、世界中の高貴な食卓には必ず登場するワイン名になるのである。だが、チーズも負けてはいない。このシャンパーニュの産地と重なる地域で作られてきたのが、大型の白カビチーズのブリ(Brie )である。大西洋から始まる広大なパリ盆地のチーズといえば小型で輸送に弱いソフト系の物が多く、昔から盆地に散在する小さな村落ごとに作られ消費されてきた。こうした事から「一村一チーズ」という言葉が生まれるのだが、ブリだけは別格であった。直径30cm以上あるこの大型のソフト系のチーズは13世紀頃からパリの王侯貴族たちの贈答品などにも使われたという記録が残っている。
ブリの原産地モー(Meaux)はパリの東方、約20kmのセーヌ河支流のマルヌ河畔にあるから船を使えばチーズを痛めることもなく、容易に大消費地のパリに運ぶことができた。こうして大型のソフト系のチーズが数百年後の現代に生き残ってきたのであろう。だが、この様な大きなチーズを今の市民達はどの様に消費しているのであろうか。30年程前にブリ・ド・モーの製造を取材したときに、クロミエの町の朝市の屋台で見ていたが、みなブリを小さなクサビ型にカットしてもらい油紙に包んで普通に買い求めていた。
あれから20数年後、再びブリを訪ねてパリ盆地の北東部にあるアール・ヌーヴォーとお菓子の町ナンシー(Nancy)を訪れた。パリから高速列車のTGVでパリ盆地を北東に向けて走りだすと、間もなく集落や人家は見えなくなり、ゆるやかに波打つ広大な牧草地や麦畑、そして草原や林が車窓を流れていく。この時、フトどこかで読んだ数字を思い出した。フランスの国土は日本よりやや広いが、居住可能地は70%で人口は7千万人弱。それに対して日本の居住可能地は30%程で人口は1憶2千万だという。こんなことを思い浮かべながら車窓を流れていく北フランスの風景に見とれていた。航空機では味わえない美しくも豊かな風景である。そして間もなく、パリ盆地が尽きるあたりにあるアール・ヌーヴォー発祥の町に到着する。若い頃にあこがれた町だ。ここ30年間のヨーロッパの旅といえばチーズの旅で大方は田舎回り、何度もフランスの各地を訪れながら、やっとたどり着けたのが、街中が美術館のような、このナンシーの町である。とはいえ今回もチーズ探訪の旅であったが、取材の前に美しい広場のテラスでゆったりと地ビールを飲み、キッシュの原型といわれるパイを食べた。
この町の近郊にはアルザス・チーズの名品マンステルの産地があり、更に少し南下すると広大な麦畑の中にブリ・ド・モーの近代工場があるという。その近代工場を見学するのが今回の目的でもあったが、勉強不足でこれほどパリから離れたところまでブリ・ド・モーの生産指定地域が広がっているとは知らなかった。ナンシーの町から車で少し南下した草原と麦畑の中に、その近代的なチーズ工場があった。清潔な工場の中に入ると、近代工場にふさわしく大量生産をしていたが、A.O.P.指定のチーズだから製法や道具などは昔と全く変わらず、すべてが手作業なのである。作業員は30年前にパリ近郊の工房で見た時と同じ道具を使い同じ手順で作業をしていた。改めてA.O.P.(原産地名称保護制度)の権威を実感することになるのである。ここで生産された熟成完了後のブリの表皮は真っ白で美しかったが、30年前の物は熟成が長めなのか写真②のように、表皮に茶色の斑点が現れていた。これは時代の好みなのだろうか。そして最後のお楽しみは圧巻であった。野外にしつらえた試食用の食卓には食べ頃のブリと、その合いの手には当然のように地酒のシャンパーニュが抜かれたのである。
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©写真:坂本嵩/チーズプロフェッショナル協会
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