フランスはヤギ乳チーズの国である。フランスにはA.O.P.認定チーズ46種類中ヤギ乳チーズは14種類もある。だがイタリアのD.O.P.認定チーズ52コの中にヤギ乳100%のチーズはない。という事はシェーヴル・チーズ王国といえばやっぱりフランスなのである。そしてその特産地はロワール河畔一帯に広がっている。
フランスの中央高地から北に流れでたロワール川はパリの手前で大きく西に折れ曲がり、このあたりから下流には多くの美しい城館が点在する人気の観光スポットだが、一方、この川沿いのエリアはフランスきってのシェーヴル・チーズの産地でもあるのだ。ロワール流域にはA.O.P.のシェーヴルは6種類あり指定外のチーズもたくさんあるが、この地方のシェーヴル・チーズの形や色が変わっているのが面白い。そんな中で、ロワール川下流部の都市トゥール(Tours)の南側には、これぞロワール産シェーヴルの三羽がらすというべきチーズを産するエリアがある。これ等のチーズには産地である村の名前が付けられているが、なぜか写真①の通りどれも表皮に木炭粉がまぶされた上に、カビが来て薄汚れた姿をしている。しかし、どれも無殺菌の山羊乳から造られる名の知れたチーズなのである。バトン型のサントモール・ド・トゥーレーヌ(Sainte-Maure de Touraine)、饅頭型のセル・シュール・シエール(Selles-sur-Cher)、そして踏み台型のヴァランセ(Valençay)。これ等のチーズを産する村はみな、ロワール南岸にある美しい村である。
そんな中で面白いエピソードを持っているのが、踏み台型のヴァランセだが、このチーズを産する村はロワール川から少し離れた森の中にあって、人口2600人の小さな集落だがそこには写真②のような村と同名の城がある。城といってもいわゆる城館で、貴族たちが晩餐会などを楽しむために造られたようである。
話はナポレオンの時代に飛ぶ。時は19世紀の初頭、フランス革命後の混乱の中から戦争上手なナポレオンが台頭し周辺の国々を次つぎと従え1804年にはフランスの皇帝となる。だが晩餐会などの宴会が大嫌いなナポレオンは、大貴族出身で周辺諸国の王侯貴族との親交もあるタレイランを外務大臣に任じ「余の変わりに客を応接せよ」といい残し戦争に出かけてしまう。だが、当時は各国の要人達との宴会がとても重要だったのである。そこで、ナポレオンはタレイランに客を応接する施設を買えと命ずる。するとタレイランはすぐに政府の金160万フランを投じてこのヴァランセ城を買い入れるのである。
その上タレイランが育てた捨て子出身の料理人で、すでにヨーロッパの王侯貴族にも名が知れているアントナン・カレームを料理長に任命し厨房を任せる。こうした状況の中でタレイランは近隣諸国から来訪する要人に対し、週に4回30人規模の晩餐会を開いたという。はじめてこの城を訪れ見学した時に地下にあるという広い厨房を見せてもらったが、そこにはなんと、捨て子からこの時代の料理人の頂点を極め、今も料理史にその名を残したカレームの肖像画がかかっていたのである。
その時ヴァランセ城の案内人は面白い話を聞かせてくれた。ナポレオンと先の外務大臣のタレイランとは最後までウマが合わなかったというが、ある日ナポレオンの元にタレイランからピラミッド型の山羊乳チーズが届く。これは若い頃の汚点だったエジプト遠征の失敗を皮肉ったものと解釈したナポレオンは、怒って「チーズの上を切れ!」と命じたという。そんなわけでスマートなピラミッド型をしていたヴァランセ・チーズが今のような踏み台型になったのは、ナポレオンの逆鱗に触れたからと案内人はいった。
そして、悪名は高かったが仕事もしたタレイラン。今はこのヴァランセ城に眠っている。
※参考文献:「宮廷料理人アントナン・カレーム:ランダムハウス講談社刊」
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